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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第224回 (2学期始業式 1)

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「チュータのひとりごと」は2000年の1022()に「教務のひとりごと」としてスタートしました。このたび,OA主任の八代昌平先生と総務部長の和田誠先生の厚意で,ホームページに「教務のひとりごと」と「チュータのひとりごと」を初回から掲載していただくことになりました。「チュータ日誌」の画面の左にある「過去のチュータのひとりごと」をクリックしてください。過去のすべての「ひとりごと」にアクセスできます。

 

2学期最初の「チュータのひとりごと」は始業式の挨拶を掲載いたします。紙面の都合で2回に分けて掲載いたします。

 

                ◇

 

後期補習,校内模試,そして実力考査が終わり,2学期の始業式を迎えました。夏休みを計画通り過ごせた人もいるでしょうが,うまくいかなかった人もいることと思います。計画通りに過ごせなかった皆さんは,なぜうまくできなかったのかということをチェックして失敗の繰り返しにならないよう工夫をしてほしいものです。

 

さて1学期の終業式で,愛光学園の向かう方向ということで本校の使命,そして今年度の教育目標について話をさせてもらいましたが,教育目標の一つ,「公共心の育成」ということで,現在の日本の教育に欠けているものの一つ,「相手の立場になって物事を考える。」ということについて話をしようと思います。

 

現在の日本の教育に欠けているものの一つとして,「相手の立場になって物事を考える。」ということがよく指摘されます。

 

教育の世界ではこの立場が,大きく分けて三つあります。

それは,親という立場,生徒という立場,先生という立場であります。

 

この「親と子と先生」を教育の三位一体と呼んでいるのですが,今日の始業式では,この三者が相手の立場になって物事を考えるということはどういうことになるのかという話をしましょう。

 

先ず,親子の関係で親が子の立場になるということはどういうことでしょうか。

わたしは,地区別懇談会で,特に上級生の皆さんのご父母に,子どもの成績がよくなかったとき,「この成績は何だ。こんな成績しか取れないのなら学校をやめてしまいなさい。」とストレートに叱らないでいただきたいとよくお願いをします。成績が悪いということは,生徒本人が一番よく分かっていて,「しまった,次には何とかしなくては。」と心が傷ついているときに,親から傷に塩を擦り込むようなストレートな言葉を受けると,つい暴発してしまうことになるのです。このようなことを繰り返していくと,親子関係は破綻してしまいます。

親は自分の子どもであっても,今,子どもの精神状態がどのようであるかということを理解して,子どもの立場に立った上で適切な言葉をかけるということが必要になるのです。

 

それでは子どもが親の立場になるということはどういうことでしょうか。

皆さんがこの世の中に存在するということを考えればすぐに解答が出てきます。

皆さんは自分の意思ではないにしろ,両親がいてこの世に生を享けているのです。つまり両親がいて君たちがいるのです。この順序を変えることはできません。木で言えば,根っこが親で,枝先が君たちです。君たちを根でしっかりと支えているのが親なのです。親は根の働きをするべく,毎日,社会に出て,あるいは家庭を守って奮闘しているのです。そのことに気付けば,感謝の気持ちが自然と湧いてくるはずです。

自分のことについて語るのはどうかとは思いますが,わたしは瀬戸内海の興居島という島で生を享けました。戦後間もない頃でありますから,まともな医療などはありませんでした。母親は,わたしを産むと自分の命がないかも知れないと言われたそうですが,産むほうを選んでくれました。お陰でわたしはここに存在しているのです。これだけで十分ではありませんか。君たちを産んでくださった親に感謝の気持ちを忘れないでいただきたい。それが親の立場を理解したということになるのではないでしょうか。

つづく


山岡先生.JPG
始業式では山岡先生(生徒部長)からの諸注意もありました。
生徒.JPG


2013年1月

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