先週のつづきです。
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では親と先生の関係で相手の立場になるということはどういうことになるでしょうか。
最近のお父さんやお母さんは高学歴で知識も豊富です。従って,授業参観をしていて,難度の高い高校生の授業も理解できる方が増えてきました。すると,つい,授業についての批評をしてみたくなるようです。批評なら良いのですが,批判になってしまうと結果はよくありません。特に皆さんの前で親が授業の批判をするとよい影響を与えることにはなりません。「To know is one thing; to teach is another.」 つまり知っていることと教えることは別物であるということを理解していただくということが,相手の立場になるということでしょうか。
それでは先生が親の立場になるということはどのようなことでしょうか。
親が本校に生徒をよこしてくださるのには,相当の金銭的負担を強いられます。また,寮生ならば,寮生活の魅力はあるものの親子が離れて暮らすことを余儀なくされます。そこまでして,子どもを預けてくださっているということを理解することが親の立場になるということでしょうか。また,わが子であれば,どのように指導をするだろうかと心をめぐらすことも親の立場になるということになるでしょう。
次に生徒が先生の立場になるということですが,これはとても難しいことかも知れません。それでも,授業準備,課題のチェック,テストの採点,クラスの生徒との面談,部活の指導,寮訪問などの仕事量を考えるとある程度は教員の立場を想像できるのではないでしょうか。先生方は,この中でも特に授業準備に最大の努力をしていることは容易に理解できると思います。
わたしが本校に赴任した32年前と比べると,先生方の仕事の量は2倍あるいは3倍になっているのではないでしょうか。
それでは,先生が生徒の立場になるということはどのようなことになるのでしょうか。
先生方もかつては生徒だったわけですから,それぞれの場面で,皆さんがどのような気持ちでいるか分かると言いたいのですが,教職に就くと,生徒には個性があって50人いれば50通りの考え方をするということにすぐ気付くことになります。しかも自分とは価値観が違うということにもすぐ気付きます。すると,50人いれば50通りの接し方があるのではないかということに思い当たるのです。個人面談は生徒の皆さんの状況を理解するために大切なものですが,50人のクラスで50通りの接し方を教員が学ぶためにも大切なものではないかとわたしは考えることがあります。そのような考え方をすれば,生徒の立場になるということになるのではないかと思います。
以上,親と子と先生の教育の三位一体で「相手の立場になって物事を考える。」ということについて述べてきましたが,当然生徒と生徒,親と親,先生と先生という立場もあります。皆さんに直接関係のある生徒と生徒の立場で言えば,「自分が人にされたくないことを人にもしないようにしよう。」というような消極的な態度ではなく,相手がどのようにしたら喜んでくれるのだろうかということを考えることのできる人間になってほしいと思います。それこそが,わたしたちが理想とする「愛と光の使徒」の姿であると思うからです。
また,皆さんと社会とのつながりでも,相手の立場になるということは大切なことです。
皆さんが行動を起こす前に,少しの間立ち止まって,自分の行為が相手の立場になっているのかどうかと考えをめぐらしてくださることをお願いしておきます。
さて,2学期は文化祭,体育大会の2大行事がありますが,クラス,学年,学校のティームワークを発揮するよい機会であります。それぞれの立場で頑張ってくださることをお願いします。
また,高3生は体育大会が終わると受験に向けてまっしぐらに進むことになります。体育大会は大いに燃えていただきたいのですが,その後,直ちに態勢を立て直すことができるよう,気持ちをうまく切り替えてくださることをお願いして2学期始業式の挨拶といたします。
グランドに設置されたステージではさまざまなイベントが行われました。(写真は仮装コンテストのようです)
今年の文化祭のテーマは「破天荒」でした。