冬休み中の静かな校内・校庭を歩いてみました。
2008年12月アーカイブ結婚を心待ちにしていた本校29期の卒業生,N君から,結婚が決まったので,式と披露宴に出席してほしいという連絡があった。結婚式は11月にあり,わたしは式と披露宴に出席した。場所は神戸市内の立派なホテルで,結婚式も披露宴も心温まる素晴らしいものであった。 N君と出会ったのは,彼が中学3年生のときである。それから高校卒業まで4年間,クラス担任となった。38年間の教師生活で約1,500名の生徒の担任をしたが,4年間連続して担任を受け持ったのは,たったの二人しかいない。わたしは,このことを奇跡的なできごとだと考えている。 N君の結婚式には,何を置いても出席すると,彼が卒業した当時から,わたしはいつも口にしていた。それは4年間連続して担任をした生徒であるということのほかに,様々な彼との思い出があったからである。 初めて彼を受け持った中3c組で,わたしは,「一人一言」というノートを用意した。このノートは,生徒が自分の書きたいことを何でも書いてよいノートであった。生徒が書いた文章を終礼時にクラス全員の前で読み上げるのである。この文章を読む係りとして,わたしはN君を指名した。とても活発でユーモアがあり,声も大きかったからである。それ以降,卒業まで,この「一人一言」を読む係りはN君であったと記憶している。 当然,N君の文章もこのノートには残っている。披露宴の祝辞の中で本人の許可をもらって,中3時代の文を読むことにしたのだが,そこに書かれている内容は,その当時から寂しくなりつつあったわたしの頭髪について心配するものであった。 この内容には,N君の心優しい一面がよく現れていると述べると,会場から笑いが起こった。 この披露宴には,愛光の寮生活を共に過ごした6人の友人が招待されていた。3時間の披露宴のほとんどの時間,愛光での思い出話に花が咲いた。特に強く思い出に残っているものは英語の授業であった。第51回の「教務のひとりごと」でも紹介しているが,この29期生は,高3の1年間を通して,英語の成績で全国ナンバーワンになった学年である。わたしは,それほど厳しい指導をしたとは思っていないのだが,彼らは,いつも英語ばかりを勉強していたという印象しかないそうだ。医者をしていて,外国人の診察をする機会がよくあるというT君は,今でも「モデル・センテンス500」の文章が自然と口を衝いて出ると言っていた。 わたしが今の彼らの年齢の頃に,英語に情熱を傾けていた姿を思い浮かべたのか,あの当時の先生のように,我々も現在の仕事に誇りを持って頑張らなければならないと言ってくれた。教師のわたしとしては,涙の出るようなありがたい話である。 6人は高校時代に,わたしも29期生を担当した時代に戻ってしまい,話はつきることがないまま時間がたってしまった。これこそ,教師をしている者にしか味わえない「教育とは卒業後の思い出なり」ではないか。 新たな思い出作りにチャレンジする活力をわたしはこの6人からもらったような気がして,晴れ晴れとした気持ちで,神戸を後にした。
14日(日)、砥部の総合公園内にある愛媛県弓道場で、中予地区選抜大会が開催されました。
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先日行われた「高校部クラスマッチ」で1年生の総合優勝を飾ったE組(担任:徳永康樹先生)の、6時間目体育の様子です。
体育授業(高ⅠE組)の続きを読む
今年の9月に行われた文化祭の売上金を福祉団体に寄附しました。
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今日の午後はクリスマス祝会です。この日に向けて、いろいろなところで準備が進められてきました。
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2学期の始業式で相手の立場になるということについてお話をしましたが,今回は自分の居場所ということで話をしてみたいと思います。 まず,空間的な居場所についてですが,人はこの地球上で,一人として同一の空間を所有することはできません。つまり,この地球上に生まれた瞬間から,必然的に自分の居場所を確保していることになるのです。現在も,約1300名の皆さんのそれぞれが,教室の椅子に座り,自分の空間を所有しています。つまり,皆さんそれぞれの空間的な居場所が確保されているのです。 今日私が言いたい「居場所」はこの物理的な居場所ではなく,精神的な居場所です。 精神的な居場所があるかどうかということは,学校生活が好きであるかどうかで推し量ることができると思うのです。 学校が好きである理由はいろいろあると思います。勉強に燃えているとか,スポーツに燃えているとか,いろいろとあると思うのですが,最も大きな理由は素晴らしい友人がいるということだとわたしは思っています。 以前,高3生の担任をしたときに,学習面ではあまりふるわなかった,またスポーツも得意でなかった生徒が面談の時に,「ぼくは学校がとても楽しい。」と言うのです。成績面で苦労しているから,学校生活が楽しくないのではないかと思っていたわたしは,正直驚きました。なぜ楽しいのかと尋ねてみると,彼は,自分には中学入学以来,素晴らしい友人がいるからだと答えたのです。 自分がうれしい時には共に喜んでくれるし,苦労しているときには,それとなく声をかけてくれる,そのような友人がいるから,学校生活は楽しいと答えたのです。学習面で多少振るわなくともスポーツがそれほど得意でなくとも,友人と共に過ごしている,これが彼にとっての学校での居場所であったわけであります。 また,今年1学期と2学期に行った高3および高2寮生との面談で,寮に入って何がよかったと思いますかという問いに,ほとんどの皆さんが,友人と共に楽しい生活を送っていることだと答えています。この友人との共同生活に寮生の居場所があるのだと思うのです。 愛光の6年間,あるいは3年間で一生付き合える友人を得ることは何ものにも替えがたいことだとわたしは考えています。一生付き合える友を得れば,愛光に入った半分の目的を達成したと言ってもよいのではないかとさえ思う時があります。 友人ができなくて困っている人のために一言,中1寮生と高1E組の寮生,および高3生には以前に話をしたことがありますが,物はみな低いところに集まる傾向があります。人間も低いところ,つまり謙虚な,思いやりのある心のやさしい人の周りに集まってきます。プライドをちょっと下げて,自ら声をかけるようにしてみてはどうでしょうか。 日本の教育にもっとも欠けていると指摘されている「相手の立場になってものを考える」ということも,友を作るときの大切な考え方です。 親しき友を持つということは自分の学校生活を楽しくする,つまり居場所を持つ一つの方法であるということを皆さんにお話しておきます。 最後に高3生の皆さんにお願いをしておきます。「We exist for our fellow-men.」 2学期の終業式でも申し上げましたが,皆さんの入試合格は,愛光に繋がる者すべての喜びです。これからさらに厳しい状況が続くと思うのですが,その先に皆さんの合格を,祈り,喜ぶご家族や先生方,先輩,後輩がいることを忘れず,同胞の力を糧として頑張っていただきたいと心から願って3学期始業の挨拶といたします。
一昨日放課後,54期中3生の希望者に対して,来年夏開催予定の「オーストラリア語学研修」説明会が行われました。
オーストラリア語学研修生徒希望者向け連絡会の続きを読む
昨日行われた中学部クラスマッチの写真と動画を,もう少しだけ紹介します。
中学部クラスマッチ 続報の続きを読む
昨日まで降っていた雨も今日はあがりました。 晴天のもと、高校1年・2年のクラスマッチが行われました。
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2学期を振り返ってみたいと思います。 2学期には2大行事と言える,文化祭,体育大会がありました。 文化祭は「破天荒」というテーマで,文化祭実行委員を中心として,今までになしえたことのないことを成就するという意気込みが感じられ,実際にそのパワーあふれる活躍ぶりを頼もしく思いました。 また,体育大会は,本校の体育大会史上に残る,雨の中の開催となり,いろいろ問題はありましたが,高3生にとっては,思い出に残る体育大会であったと思います。翌日の振替休業日に,高3生から,「昨日は雨の中の体育大会を最後まで実施していただき,ありがとうございました。」とお礼を言われました。体育大会の開催でお礼を言われたのは初めてのことであります。 また,高2寮生との面談で,心に残る思い出に,この体育大会を挙げる生徒が多いことに驚きました。 全校生徒の皆さんが「北京よりも熱く」というテーマのもと,真剣に競技に取り組んでくれたことに改めて感謝いたします。 そのほかにも,学園関係物故者追悼式,そして,中1は遠足と合唱コンクール,中2も遠足,中3は研修旅行,高1は柔道大会がありました。 なぜ,学校教育の中で,このように多くの行事が組み込まれていくのでしょうか。 それは,何かを集団で経験することによって,人が味わう感動は何倍にも膨れ上がるからです。そして,こうした感動は思い出として心に残っていきます。教育とは卒業後の思い出なりというのは,このことを言うのです。 寮生との面談で,「心に残る思い出は?」と尋ねると,彼らが修学旅行や文化祭,体育大会の名前を必ず挙げるのは,集団で何かを行ったことから来る感動を味わい,それが心に残っているからでしょう。 さて,せっかくの機会でありますので,人を感動させることによって信頼を得た自分の体験について述べてみたいと思います。 (以下の体験談は「チュータのひとりごと」の第42回と第43回に掲載していますので,トップページからアクセスしてください。最初と最後の部分のみを掲載いたします。) わたしが40年ほど前,最初に赴任した学校は東京の私立中学で,その学校に教師を叱り飛ばすことで有名な校長がいました。 (中略) 校長が中学校を去り,高校の校長になるとき,生徒に対するお別れの言葉の中で,わたしのことを誉めてくれました。「青雲塾(寮)の歴史を語るときに,ここにいる中村先生を除いては語れない。」と。この言葉を聞いていた年配の先生から,「わたしは長年校長と一緒に仕事をしてきたが,校長が教員を誉めたことはこの何十年,一度もなかった。君はいったいどのようなことをしたのか。」と尋ねられました。わたしは「多分お菓子でしょうね。」と答えましたが,その先生はおそらく何のことかは理解できなかったでしょう。 わたしはこのレーズンウイッチの出来事以来,どのようにすれば人が心を動かすかということを考えるようになりました。つまり,人が今何を求めているかを瞬時に見抜く力を身につけることが必要だと考えるようになったのです。それが,人と人との繋がりを構築することになると考えたからです。 生徒の皆さんも,相手が今何を求めているのかということを考えることのできる人間になってほしいと思います。特に,先生方から注意を受けたときに,先生は自分に対して何を望んでいるのかということを考える余裕を持ってほしいと思います。先生は叱っているのではない,鍛えてくださっているのだと思うと,それは感謝の気持ちに変わってくるものです。 叱られるのが楽しみだというのも考えものですが,注意を受けたときに,その注意が客観的にみて正しければ,素直に「すみませんでした。」ということばが出ると,雰囲気はずいぶんと変わってくると思います。 もちろん,叱る側も,しっかりとした配慮をして,注意を与えねばならないことは当然であります。 また,友人との付き合いにおいても,相手が今どのような気持ちでいるのかを常に考え,お互いを高めあうことのできる,よい人間関係を築いてほしいと思います。 目には見えない,「思いやり」や「心遣い」が目に見える人間関係を構築しているのです。そのことに気が付いて,実行している人のみが,社会で友人や同僚を助け,かつ,友人や同僚,そして神様から助けられる人間になることができるのだということを述べておきます。 続いて,本校生の電車通学生のマナーについて,ご高齢の方からの苦情が寄せられています。 高齢者の方に席を譲ったり,電車の中でも読書や勉強をする。それが,愛光生のあるべき姿であって,地域の方々が誇りにできる愛光学園にしていくよう,努力していこうではありませんか。 最後に,51期高3生の皆さん,センター試験まであと49日です。以前にも申し上げましたが,入試では奇跡は起こりません。やっただけが返ってくるのだということを,忘れないで,この後の一層の努力を続けてもらいたいと思います。現役生は,これから,まだまだ伸びるのです。そして,最後の最後まで強いチャレンジの気持ちを忘れないでくださいと申し上げて,2学期終業式の挨拶といたします。
今年もあと残すところ1ヶ月を切りました。学校の正面玄関が「12月限定仕様」に変化していることに今日気づきました。
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