2009年6月アーカイブ
今日のロングホームルームの時間に、中1はパートに別れて話し合いをしていました。
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修学旅行の目的地を北海道にしたのは31期生が高2のときであったと聞いている。したがってわたしは33期生,35期生,42期生,51期生,52期生,53期生と一緒に北海道を訪問したことになる。 最初の頃の訪問地は道南で,先ず,函館空港に入り,その後洞爺湖を訪れたことが記憶に残っている。33期生,35期生,42期生とバスで函館山に登り,生徒と共に眺めたあの夜景は忘れがたいものがあった。 函館山には霧がかかって夜景が見えなくなることがよくあると聞いていたが,33期,35期,42期の3回においては,霧は全くなく,素晴らしい夜景を堪能することができた。 また,洞爺湖のホテルで,屋上の露天風呂に生徒とともにつかり,暮れゆく湖と羊蹄山の素晴らしいコントラストを眺めながら,うっとりとしたことがいまだに心に残っている。そう言えば,湖畔での花火大会は今でも続いているのであろうか。 44期生からコースを道央に変更し,自然体験型の研修を取り入れることになった。その後,少しずつ変更を加えながら,現在の旅程に至った。 体験型と言えば,前任校では,中学3年生の旅行を「鍛錬旅行」と呼び,青森の八甲田山を縦走したことが記憶にある。このときは,酸ヶ湯温泉で風呂の木枠に生徒たちとともに座り,男声2部合唱で10曲ほど合唱したことが強烈な思い出として残っている。この温泉が混浴で,たまたま,生徒たちの素晴らしい合唱を耳にした女性のお年寄りたちが,ぜひ歌声を聞かせてほしいと入場を要望した。係員が都会の男の子たちが恥ずかしがるからという理由で入場をお断りしたというエピソードが残っている。 話を本校の修学旅行に戻して,今年,53期生と共に訪れた北海道の旅を振り返ってみたい。 6月11日,出発集合は午前6時30分,普段の登校時間と比べると,約1時間半も早い。全員揃って定刻に学校をスタートした。空港に集合する生徒と合流,松山空港から羽田を経由して旭川の空港に到着し,「旭川ラベンダーヒルズ」に向かった。昼食は「いくら丼」と「シャケフレーク丼」のどちらかを選択し,食べ放題であった。男子生徒はとにかくよく食べる。おかわりの列ができていた。わたしの記憶では「いくら丼」5杯が今までの最高記録である。昼食後,最初の訪問地「黒岳」に向かった。残念ながら雨で「黒岳」の姿を見ることはできなかったが,生徒たちは残雪を利用して,「雨中の雪合戦」を楽しんだ。昨年度は「黒岳」はきれいに見えたが,全く雪が残っていなかったので雪合戦にはならなかった。生徒たちの楽しみ方を工夫する力はたいしたものだと感心しながら,室内から雪合戦を観戦した。窓にあまりにも近づきすぎたためか,自動ドアが勢いよく開いた時に,頭がドアにあたり,翌日まで痛みが残る羽目に陥った。 昨日の放課後、教員対生徒によるソフトボールが行われました。
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昨日の7限目には、文化祭の〈パート別集合〉がありました。
文化祭はもう動き出していますの続きを読む
3週間の教育実習は今日が最終日。
教育実習生3・高松地区懇談会の続きを読む
今週の金曜日は参観日です。中1の当日の時間割を次のページ(「学校からのお知らせ」)に掲載しています。
さて、今日は中1・2が2教科テスト。中3から高2が3教科テスト。高3は通常授業です。
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4月末から5月初めの8連休の1日を利用し,家族3人で高知県安芸郡北川村の「モネの庭」に出かけた。「松山インター」から高知の「南国インター」まで高速道を走ったが,自宅から高速の入り口まで渋滞があったくらいで,高速はそれほど混雑してはいなかった。ところが,「南国インター」を降りてから,国道を走る時間が1時間半あることを計算に入れてなかったために,結局,片道4時間の長いドライブとなってしまった。 到着後すぐにお目当ての「水の庭」へと向かった。青の睡蓮はなかったが,白と赤の睡蓮が美しく池に浮かんでいた。チュータ日誌で鍛えた撮影技術(?)を駆使して,池の写真を撮影しようとしたのだが,美的素養に欠けるせいか,うまい構図が描けない。 そこで,実際に自分の目で見て感動しなければ,いい写真など撮影できるわけがないと思い直して,まず自分の目でじっくりと庭園を見つめることにした。 その時,チュータ日誌の写真を撮影していた当時のことが頭に思い浮かんだ。わたしは,すべての写真がそうであったとは言えないが,対象が生徒であろうと,花や木々であろうと,うきうきした楽しい雰囲気の中で撮影をすることが多かった。そして,この「水の庭」をホームページで紹介できるかも知れないと思った瞬間,がぜん,撮影の意欲が湧いてきた。 「チュータ日誌」を毎日更新できたのは,結局,アクセスしてくださるご父母や同窓生の喜ぶ姿がディスプレイの奥に見えたからだということに改めて気が付いたのである。 続いて「光の庭」を通って展望台に向かい,散策をした後,「花の庭」で美しく咲き誇っている花々を観賞した。 展望台で休憩をしていると,一人の男性から「愛光の中村先生ではありませんか。」と声をかけられた。50期卒業の女子生徒のお父様であった。奥様が「モネの庭」に興味があるということで,ご夫婦で松山からみえていたのだ。訪問の理由はわたしの場合とまったく同じであった。3人の子ども全員が愛光を卒業し,立派に社会で活躍されていると聞いて,心からうれしく,ありがたいことだと思った。もちろん50期卒業のご息女は今,大学生である。卒業生が頑張っている話を聞くと,次にステップアップするエネルギーになる。人間が人間とかかわる教育の醍醐味は,教育する者を超える人材を輩出することにある。卒業生が「個の実現」のために努力している話を聞くと,自分のことのようにうれしくなるのは,親と教育に携わる者にしか味わえない喜びだと言ってもよいのではなかろうか。 途中,仁淀川にこいのぼりが浮かんでいる光景を見,夜の国道33号線のくねくねとしたカーブの運転を楽しみながら,やはり4時間かかって松山に到着した。往復8時間の運転の疲れは,卒業生のご父母に出会ったことで,どこかに吹き飛んでしまった。1週間ほど続いた口内炎が消えたのも,そのおかげであろう。 神様は不思議な演出をしてくれるものである。
今日は最終日(5日目)を報告します。
高Ⅱ 修学旅行(その3)の続きを読む
今日は、二日目を報告します。
高Ⅱ 修学旅行(その2)の続きを読む
11日~15日、北海道へ行ってきました。
高Ⅱ 修学旅行(その1)の続きを読む
5名の教育実習生が、現在本校で実習を行っています。
教育実習生+中1部活入部の続きを読む
(先週の続きです。)
K先生が打席に入った。ショートフライを打つだろうとわたしは予想していた。見事に予想が的中してショートフライがあがった。少し自分が構えていた位置よりも後にフライがあがったので,バックしてグラブを構えた。ここまでは記憶にあるのだが,これ以降,保健室で目を覚ますまで記憶がないのである。 試合を見ていた先生によると,グラブを構えてからグラウンドに倒れ,頭を打ったとのことである。 保健室で気がついたわたしは,「自分は何をしていたのですか。どうしてここにいるのですか。」というような質問をしたそうである。これを聞いた養護教諭が病院に運んだほうがよいということになり,救急車に乗せられることになったのである。 救急車の中では意識がはっきりしていたので,横になってサイレンの音を聞きながら,「これで教員になってからの皆勤が消えてしまうなあ。」ということだけが頭に思い浮かんだのを覚えている。 病院には英語科のN先生が付き添ってくださり,わたしの家族の到着を待ってくださった。CTの検査では異常がないということであったが,念のため入院ということになった。 当日使用したシューズが小さすぎて,足をあまりにも締め付けたために,血液の循環が悪くなり,突発性脳梗塞を起こしたのではないかと思っている。 翌日,病院から,このまま入院し,しばらく様子を見るようにと勧められたが,「午後には学校に出勤したいので,退院させてほしい。」とお願いしたところ,認めてくださった。そのときに,「わたしは教職についてから,病気で学校を休んだことは1日もありません。もし,今日,休んでしまうとその記録が途絶えてしまうので,何とか退院させてほしいのです。」と言ったと記憶している。 医者にあきれたような顔をされたが,その当時のわたしにとっては,この記録だけは持ち続けたいという気持ちが非常に強かったのである。おかげで,その記録は今も続いており,数えてみると40年と2カ月が経過しようとしている。 宿命は変えることはできないけれども,運命は自らが切り開くことができる。「続いてこそ道」という言葉を実践することは,自分の運命を切り開く道であると信じ,今後も,この信条を大切にしたいと考えている。
4時間目が終わると昼食です。
昼休みの学校食堂+売店の続きを読む
今日の高Ⅰのロングホームルームは、薬物乱用防止教室でした。
薬物乱用防止教室・数学同好会の続きを読む
今日は2つの内容を紹介します。
初めて救急車に乗ったのは,東京の私立学校で教職について間もない頃であった。 中学の男子生徒二人が昼休みの休憩時間中に,ベランダに通じているドアを開け閉めして追いかけっこをしていた。追いかけられている生徒が閉めたドアの窓の部分に勢い余って手をついたために,追いかけていたJ君の腕が窓を突き破った。厚さ6ミリの窓であったと記憶しているが,ガラスの破片で腕が裂けた状態になっていた。すぐに救急車が呼ばれた。J君が塾生(=寮生)ということで,塾舎監のわたしが同伴することになった。 病院に到着して手術に立ち会った。30針ほど縫う大けがであったが,彼は「痛い!」という言葉を一度も発しなかった。ずいぶん我慢強い少年だと驚いた。わたしのほうは,縦にえぐれている腕を見て気持ちが悪くなり,その後,丸1日食事がのどを通らなかったことをいまだに覚えている。 先日,J君と電話で話す機会があり,その際に彼の名前をフルネームで告げると,「覚えていてくれたのですか。」と驚いていた。そして腕のけがのことについて触れると,彼も,中学時代のこの出来事のことをよく覚えていて,今も負傷の痕が残っているとのことであった。 うれしかったのは,J君は教職の道についており,生徒たちの教育に携わっているということであった。中学の頃の負けん気の強い気持ちを忘れずに,熱心に教育に打ち込んでいる姿が電話の声から想像できた。 二度目に救急車に乗ったのは,本校で教職員のソフトボール大会が行われたときであった。当時,考査期間中の午後,教職員が2チームに分かれてソフトボールの試合を行うことがあった。 わたしが子どもの頃は,スポーツと言えばソフトボールで,夏などは海水パンツ1枚で試合をしたものであった。途中暑くなると,海に飛び込んで体を冷やしてから,試合を再開した。グラブなしで試合をすることもあったためか,素手でボールをつかむのが得意であったような記憶がある。このような次第で,ソフトボールは自分の得意なスポーツであった。特に守備に関しては自信を持っていた。サードとショートを守ることが多かったが,一度打順がまわると,次に打者が打ったボールがどこへ飛んでくるのか,おおよそ見当がついた。
以前もお伝えしましたが、中1生は週に1時間、聖堂で「生徒手帳・宗教」の授業を受けます。
聖堂での授業・地区別懇談会の続きを読む
今日は、2日目、3日目を報告します。
中1 大洲宿泊研修(その2)の続きを読む
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