新型インフルエンザが流行していますので,感染拡大を防ぐため,終業式の挨拶を放送で行います。
2学期を振り返ってみたいと思います。
2学期には大きな行事として,文化祭がありました。
今年の文化祭のテーマは「華」で,文化祭実行委員長の高2長田祥君が華とは「一番素晴らしい状態を示す一文字です。」とパンフレットの中で述べています。一番素晴らしい状態を作り上げるために,文化祭実行委員が中心となり,全校生徒の協力のもとに文化祭を開催できたことを,共に喜びたいと思います。
今年の文化祭では生徒の皆さんに大きな苦労をかけることになりました。
まず,耐震補強工事のため,様々な制約が設けられたことです。発表の場所が制約されたことについて申し訳なかったと思っています。
また,耐震補強工事に続いて新型インフルエンザの問題が起こりました。8月末の補習期間に中2と中1が学年閉鎖となり,寮生にも全員帰省してもらい,1週間休校としました。この点についても,皆さんに苦労をかけることになってしまいました。われわれが予想していたよりも早く,罹患者が出たため,学校の「新型インフルエンザ対策ガイドライン」がぎりぎりで間に合うという事態に陥りました。このような状況の中で,文化祭が果たして開催できるのか,非常に不安な気持ちになったことは事実です。中・高のうち1学年でも学年閉鎖があれば,文化祭を中止しなければならないと判断し,最悪のケースに備えて,中止になったときの君たちへの挨拶まで作成していました。
しかし,文化祭当日には,一人の罹患者もいませんでした。これは本当に不思議なことで,文化祭開催への皆さんの熱き思いが天に通じたのだとわたしは考えています。
2学期には,そのほかにも,先日の学園関係物故者追悼式,そして,中1は遠足と合唱コンクール,中2も遠足,中3は研修旅行がありました。
さて,始業式や終業式ではやや硬い話をすることが多いのですが,今日は少し話題を変えて,中学の遠足で起こった出来事を皆さんに紹介したいと思います。
もう15,6年も前,わたしが中学1年生の学年主任をしていたときの話です。
わたしは松山観光港の沖合いに浮かぶ興居島の出身であります。わたしは自分の生まれ故郷に誇りと愛着を持っており,当時,中学の遠足の目的地は興居島と決めていました。
港から3キロ歩いたところに,「わしが巣海水浴場」があり,ここで,バーべキューをし,たこ飯を食べることが多かったと記憶しています。クラス行事もここで行うことがあり,そのときには船釣りをすることもありました。小型船舶免許を取得したのは,このクラス行事を実施するためでした。
この中1の遠足については,興居島中学の校長先生に,雨が降った場合に,弁当を食べる場所として校舎のどこかを提供してほしいということを予めお願いしていたように記憶しています。遠足当日,出発の折には曇っていたのですが,天気予報で途中から雨になることはある程度予想できました。そのような状況の中で実施するのもどうかと思いましたが,学校行事ですから,雨が降っていないのに出発しないわけにもいきません。また天気予報も今のように正確ではなかったため,何とか天気がもってくれることを期待して,元気よく出発しました。興居島の由良港から3キロ歩いて目的地に到着し,しばらく曇りの状態が続いたのですが,弁当を食べる頃に予想通り雨が降ってきました。そこで,「わしが巣海水浴場」を離れ,500メートルほど離れたところにある興居島中学へ向かいました。中学の校長先生は,わたしたちの昼食のために体育館を提供してくださいました。その体育館は新築したばかりのぴかぴかの体育館でした。まだ落成式が終わっていない新築の体育館を提供してくださったのです。これには驚きました。わたしは興居島中学の卒業生ではありますが,いくら卒業生と言えども,校舎を貸してほしいと頼むのは,少しずうずうしいのではないかと,気が引けていました。ところが「どうぞ,どうぞ。」と言って快く愛光の中1生に新築の体育館を提供してくださいました。今も校長先生の好意に対して感謝の念を抱いています。