先週末の3連休中に、ESS部とカトリック学生の会(カト学)部が
中島へキャンプに行ってきました。
2010年6月アーカイブ修学旅行の閉校式をドミニカンセンターで実施した。その際,わたしは全旅程について簡単に触れたが,今回の「ひとりごと」で,もう少し詳しく, 54期生の旅について報告をしたい。 今回の引率は学校長として3回目であった。 まず,5日間を通して晴天であったことが何よりも有難いことであった。4泊5日の旅行で,一度も雨に会わないというのは珍しいことである。また,「予定されたことが,予定通りに進むということは難しい。」ということは,行事を企画,運営してみると,誰もが気づくであろう。54期生の旅はすべてのことが計画通りに進んだことにおいても,素晴らしいものであったと言える。 ○初日 羽田と旭川の飛行場に着陸後,キャビンアテンダントが本校の生徒に搭乗の御礼と北海道での旅を楽しんでほしいと挨拶をした。それに対して,生徒たちはそれぞれ,拍手で応えていた。このような拍手はこれまでに経験がなかったが,生徒の素直な気持ちが表れていて,素晴らしいと思った。 旭川飛行場に降り立ったときには,南国に来たのではないかと錯覚するほど暑かったことが印象に残っている。最初の訪問地,黒岳にロープウエイで登ったところで,やっと北海道独特の涼しさを味わうことができた。 黒岳には,残雪があったために,生徒たちは雪合戦をやるだろうと外を眺めていると,今年は女子生徒たちがまず雪合戦を始めた。昨年度は風雨が強く雪合戦どころではなかった。一昨年度は暖冬のため,雪が残っていなかったので,生徒たちの雪合戦を見るのは久しぶりであった。54期女子生徒のパワーの一端を見たような気がした。 ホテルでは,毎年,夜中に見回ることにしている。昨年度,廊下の見回りをしていると,生徒の部屋のドアが静かに開き,一人の男子生徒が廊下に出てきた。わたしの姿に気づき,「チュータ先生や!」と一声上げて,あわてて部屋に入り,ドアを閉めた。ホテルの部屋は同じような形状をしており,距離があったため,どの部屋のドアが閉まったかということまでは分からなかった。 後日,高2寮生の面談をしているときに,一人の生徒が,「あれは,ぼくでした。」と明かしてくれたが,生徒たちはとにかく元気である。 今年は,このようなことがないようにと,出発前に注意をしておいたせいか,生徒は一人も起きてこなかった。不思議なもので,誰も起きていないというのは,当然のことであると思いつつも,少し寂しく感じるというと不適切な発言になってしまうであろうか。 今日の朝、登校指導がありました。
朝のあいさつ&四国大会(ソフト部)の続きを読む
今日は、中1・2が「2教科テスト」。中3~高2が「3教科テスト」。高3は通常授業です。
3教科テスト(高1E)の続きを読む
わたしは人一倍,自分の声の調子を気にかけている。おそらく,高校時代に放送部でアナウンス部門を担当したことが大きく影響しているのであろう。 高2のときに,高校放送コンテスト愛媛県大会の「アナウンス部門」に出場し,たまたま2位になり,高3では,同じ「アナウンス部門」で優勝し,2年連続で全国大会に出場させてもらったことは以前の「ひとりごと」でも触れた。 その頃の特訓の成果が今でも継続(?)しており,マイクを通して自分の声が響いた瞬間,マイクとスピーカーの性能を意識するようになった。地区別懇談会や入試説明会で会場に到着して,わたしが最初にチェックするのは,マイクを通した自分の声の響きである。不思議なもので,スピーカーの性能も関係しているのであろうが,気持ちよく話せるマイクとそうでないマイクがある。最近はワイヤレスマイクが多くなり,性能も良くなっていると思うのだが,場所によっては,声をどのように工夫しても,気持ちよく話せないマイクやスピーカーがある。 自分の声が気持ちよく響くと,気持ちがうきうきし,間の取り方とか,気持ちの込め方とか,話す内容にまで好影響を与えてくれる。 学校の体育館のマイクには「ワイヤレス」と「ワイヤード」の2種類がある。ワイヤレスは少し声が高くなり明瞭に聞こえる。2種類ともダイナミックマイクで単一指向性であるが,ワイヤードは少し声が低くなり,聞き取りにくい。スピーチは声が少し高めで,明瞭であるほうが聞きやすいようである。どうやら,マイクにもいろいろと種類があるようだが,業者に依頼すると,決まってスピーチ&ボーカル用のマイクを用意してくれる。 今回の「ひとりごと」は,マイクやスピーカーの性能とは全く関係のない,わたしがのどを痛めたため全く発声できなくなったことについての報告である。 5月は県外及び県内出張が連続し,少し疲労がたまっていたのかもしれない。自分としては快調に職務をこなしていたつもりであった。中間考査の最終日に風邪気味かなと思いながらも,たいしたことはないと気にも留めず,中3の地区別懇談会に出席した。全体会と懇親会の席で,声の調子が良くないと気づいたが,よくあることなので,かまわずご父母と話を続けた。 翌日,起床して驚いた。声が全く出ないのである。翌日の月曜日には中1の宿泊研修(2泊3日)が控えていたので,とにかく声が出ることを願って,できるだけしゃべらないようにした。しかし,月曜日の朝も声がまともに出ない。もともと,のどを使って発声しているためか,調子の良いときはいいのだが,いったん調子を崩すと復活するのに時間がかかる。 中1の宿泊研修では,二日目の夜にキャンドルサービスがあり,わたしの役目が「火の長」でスピーチをすることになっている。生徒たちに聞こえる声が出るかどうか不安であったが,できるだけ発声を控えてスピーチに備えた。 少し実声が出るようになっていたので,マイクをきちんと使用すれば,少なくとも聞いている者に理解できる話ができるという気持ちになり,スピーチの時間まではできるだけしゃべらないようにした。 キャンドルサービスが始まり,「火の長」が話す場面がやってきた。わたしのかすれ声に,生徒たちは一瞬驚いた様子ではあったが,マイクのおかげで何とかスピーチができた。これほど,自分の声に気を遣ったことはこれまでにない。しかも,良い声で響くかどうかではなく,生徒たちにきちんと聞こえるかどうかという気遣いであるから,少々やっかいである。 研修最終日の閉校式でも,まだ声はかすれていたが,マイクを用意してもらって何とか挨拶ができた。 声を出せることが,これほど有難いと思ったことは今までになかった。普段,当たり前だと思っていることが,実は当たり前ではないということは,しばしば言及されることである。健康であることを当たり前であると思っていると,わたしのような経験をすることになる。今回の「声がれ」は健康であるときに,健康に感謝の気持ちを持って人生をおくらなければならないということに改めて気づかせてくれる出来事であった。
15日(火)の6、7時間目、ドッジボールが行われました。
ドッジボール(中2)の続きを読む
今日は、新任の先生を紹介します。
新任紹介(八木先生)+昼休みの学校食堂の続きを読む
6月8日(火)、9日(水)に行なわれた、柔道の中学総体の写真を 保護者の方から送っていただきました。
松山市中学総体(柔道) + 修学旅行報告の続きを読む
高2の修学旅行もいよいよ最終日となりました。
高2修学旅行(最終日)+教育実習の続きを読む
もう一つ,わたしが本校に着任したときに予言(?)したことがある。それは,教員が10年後に忙しくなるということである。 東京の学校から愛光学園に移ったとき,最も驚いたことは持ち時間の少なさであった。 前任校では,週に英語の持ち時間が20時限あり,さらに,男子体育,女子体育の時間(部活動に近い)の指導があり,週に24時限,1日平均4時限を担当した。わたしの場合は,この上に塾(寮)の舎監勤務があったので,学校が休みになるという感覚は全くなかった。 33年前に愛光に赴任して,週の持ち時間が16時限であると聞いて驚いた。4時限の授業日が4日あるので,1週間に2日間は授業のない日があるのだ。しかも,当時,部活動は活発ではなかったので,4時になると,教員も生徒も学校に残っていなかったように記憶している。もちろん,そのおかげで空き時間ができたので,チュータブックなどの自作の副教材を作成するなどの有効な活用ができて有難かったと考えているが,これがいつまでも続くとは思えなかった。 予想通り10年後,教員の仕事は倍増した。わたしにとっては,以前の状態に近づいたと言ったほうが適切かも知れない。そして30年後の現在,教員の仕事量は当時の3倍になっていると感じている。 教員の持つプレッシャー,特に進学校であると自認する学校の教員のプレッシャーは大変なものである。わたしは6度,高3生を担任として送り出したが,1度だけ,自分の思うような英語の成績を出せなかった学年があった。このときの気持ちは,自分に責任があるということがよく分かっているがゆえに,大きなプレッシャーとして自分の心に覆いかぶさった。その屈辱感を次に担当する学年指導の活力として生かしはしたが,1年間はその屈辱感を振り払うことができなかった。 教員の仕事には,これでよいという行き着く地点などはない。心を込めて工夫を凝らし,自らも充実感を味わいながら生徒と共に道を歩む,そのたゆまぬ努力の先に素晴らしい結果が待っているのである。 もう一つ,予言(?)していたことがある。わたしは何十年も前からガソリン車から電気自動車に変わる時代がやってくるということを予想していた。この実現はわたしの予想よりも遅れている。 ハイブリッドはもう時代遅れだと言ったら,叱られるかもしれないが,わたしの頭の中では,ガソリン車とハイブリッド車の時代は終わり,電気自動車が台頭する時代に変わりつつあると,いささか勝手な意見を述べて今回のひとりごとを閉じたい。
以前にもお伝えしましたが、高校総体の紹介をします。
高校総体(ソフトボール・陸上)の続きを読む
中1生の大洲宿泊研修の2日目(午後)を紹介します。
大洲宿泊研修(その3)の続きを読む
5月31日(月)から卒業生が教育実習に来ています。
実習生の授業・修学旅行開校式の続きを読む
中1生の大洲宿泊研修の2日目を紹介します。
大洲宿泊研修(その2)の続きを読む
わたしは予言や占いなどを信じないタイプの人間であるが,40年近く前にアメリカ合衆国を初訪問した後,授業中に生徒に向かって,「1ドル100円の時代が必ずやってくる。」と何度も予言(?)したことを記憶している。当時1ドルは,わたしの記憶が正しければ360円であったように思う。なぜ,この時代に「1ドル100円の時代が必ずやってくる。」と言ったかというと,それはドルを合衆国で使用してみて,1ドルは100円と対等であると実感したからである。 数年後,交換留学(短期ホームステイ)で,生徒たちを引率してロスアンジェルスのノースハリウッドにあるハーバードスクール(男子の中高一貫校・中学2年,高校4年)を訪問した。その時に,教員の給与について聞いたところ,同年代の教員の給与が日本の教員の3倍であった。このことも1ドルが100円の時代がやってくると確信した理由の一つであったかも知れない。 この交換留学引率の時には,わたしもホームステイである家族に大変お世話になった。その家庭は家族3人で,ハウスボーイが一人いた。車が5台あり,父親はロールスロイス,母親はシボレー,息子も外国製の高級車を所有しており,ハウスボーイは日本人で,彼も車を1台所有していた。そのほかにも車が1台あった。 交換留学を記念し,100人以上の関係者を招待してディナーパーティーを開いてくれたが,リビングルームはその人数に十分対応できるほど広々としていた。家の横にプール,その後にテニスコートが続き,そしてテニスハウスがあった。そのテニスハウスが現在のわたしの家よりも敷地面積が広いのだから,土地の広大さが想像できると思う。 大変リッチなアメリカ人のご家庭にお世話になったと考えていたが,周りの人たちから普通よりも少し上だと聞かされて,アメリカという国はどうなっているのだろうと不思議に思ったものである。 また日本人のハウスボーイは給料をもらいながら語学学校に通っていた。ひと月の授業料が多分1ドル以下であった。アメリカで暮らす人たちに早くアメリカに慣れ親しんでもらいたいという素晴らしい試みであると感じた。 今や1ドルが90円の時代であるから,教員の給与の水準はアメリカとそれほど変わらなくなった。おそらく日本人の生活のレベルもあがり,豊かになったと言えるであろうが,わたしが40年前に訪問したノースハリウッドが,現在どのように変化しているのか,大変興味がある。機会があれば,40年経過した同じ街を訪問し,アメリカと日本がどう変化したのか,自分の目で確かめたいと思っている。
昨日、中1生が大洲宿泊研修から帰ってきました。
大洲宿泊研修(中1)の続きを読む
中間考査が終わって、部活動が再開しています。
放課後の部活動+新任紹介(高山先生)の続きを読む
|