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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第313回(3学期始業式講話(1))

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わたしが,教師として初めて赴任した学校は,東京の小・中・高・大一貫の中学部でした。以前にも触れましたが,わたしは英語の教員と寮の舎監を兼務し,4年間,長期休暇を除いて24時間生徒と共に過ごしました。その経験が,今のわたくしを支えていると言っても過言ではありません。

先日,東京を訪れる機会があり,自分が青春時代を中学寮生と共に過ごした「青雲塾」の宿舎を訪問しました。残念ながら,「青雲塾」の建物は古くなったこともあって,今年になって取り壊されていました。また,中学部の校舎は新しい場所に移転したために,跡地には近代的な校舎が建築され,大学の農学部として利用されていました。なにしろ,愛光学園の6倍,60万平方メートルもの敷地があるので,校舎を移す場所には困らないのでしょう。

当時,中学1年生の寮生と豚や羊を飼育していた谷間を見ると,豚舎はすでになくなっていました。そこは開墾されて畑になっており,野菜が植えられていたのです。しかも,驚いたことに,豚舎のあったすぐ裏手が宅地になっており,立派な家が何軒か並んでいました。

しばらく,あたりを見回しているうちに,40年前の記憶がよみがえってきました。豚が朝食の残飯を持ってきた中1生を追い回していたこと,羊が生徒になつかず,わたしにしかついて来なかったこと,豚舎のにおいのひどさに耐えながら,生徒と一緒に掃除をしたこと,当時のわたしの楽しみの一つが,バスタブをお湯で満杯にして,その中に勢いよく飛び込むことであったことなど,数多くの思い出が次々に浮かんできました。

形ある思い出の建造物は消えていっても,数々の教育現場での思い出は消えることはありません。

現在の本校の校舎も,いずれは建て替える時期がやってくるでしょう。

つい先日,宇和島の同窓会にお招きいただき,宇和島駅に隣接しているホテルで同窓生の皆さんと楽しいひと時を過ごしました。出席した同窓生のほとんどが,旧校舎で生活を送っており,現在の衣山の校舎についてはほとんど知らないとのことでした。このように形あるものは,どんどん変わっていきますが,教育の世界には,いつまでたっても永遠に変わらないものがあります。

それが建学の精神です。宇和島の同窓会では,挨拶の最初に,「われらの信条」を暗唱しました。出席している同窓生の顔を見ながら暗唱したのですが,どの同窓生の顔も「われらの信条」に久しぶりに触れて,顔が輝いて見えました。

 


2013年1月

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