2011年5月アーカイブ
05月30日(月)、松山はよい天気です。写真右の塔は「アンジェラスの鐘」。時折鐘が鳴ります。
台風一過の中間考査03日目の続きを読む
記事は読んでいただくということにして,テーマに対してわたしが用意した資料を紹介したい。 ● 時代変化と共に高等学校教育に変わりは? わたしが愛光に赴任したのは34年前であり,当時は,午後4時になると,生徒も教師も学校にはいませんでした。当時は部活動で対外試合が禁じられていたことも,その一つの理由であったと思います。 東京の前任校では,午後7時頃までは,部活動の指導や仕事をするのが当たり前だったので,いずれ,同様の状態になるだろうと考えていたところ,実現したのは10年ほどたってからでした。 どの高校にも言えると思いますが,良く言えば,教師と生徒のかかわりが深まってきたと言えます。もう一方で,教師や生徒にゆとりがなくなった,と感じている教師も多いようです。 IT化が進んで,仕事に余裕ができ,空いた時間を生徒との触れ合いに回すことができるのではと考えた教師もいたのではないでしょうか。 しかし,IT革命は教師の仕事を増やしはしたものの,軽減することにはなりませんでした。より効率の良い授業を目指して常に工夫を重ねなければならないからです。 つまり,IT革命は,教授法に大きな変化をもたらしました。たとえば,今や,パワーポイントやインターネットを用いて授業をするなどは,ごく当たり前のことになっており,さらなる教師の新たなチャレンジが要求されています。 わたしは,40年前にOHP(オーバーヘッドプロジェクター)を使い,簡易ラボやフルラボを用いて英語の授業をしていた頃,最先端の授業方法で授業を行っているという誇りのようなものを持っていましたが,IT革命はそれを吹き飛ばしてしまいました。 そして,ホームページ等で情報が瞬時に伝わるため,学校の活動や大学合格実績の情報などが,全国に知れ渡ります。この学校の活動や進学実績も重要な情報ですが,学校には,いかにIT化が進んでも,不易の部分があり,それが,「建学の精神」だと思います。 わたしは,本校の入試説明会で,学校を選ぶ際に,「大学合格実績も大切ですが,それよりも,もっと大切なものがあります。それは,建学の精神です。」と申し上げると,うなずいてくださるご父母が多く見られようになったことを喜んでいます。時代がどのように変化しても,学校教育には不易の部分があり,それが「建学の精神」であることを,これからも伝えていきたいと思っています。 ただ,人体の細胞のように絶えず生まれ変わることを要求されるのが,今の学校ではないでしょうか。その要求に追いかけられるのではなく,常にchange し続ける姿勢を持たなければ,学校といえども存続できないと思います。 H23.3.28 於:愛媛新聞社 4月29日(金)付けの愛媛新聞に,「これからの大学教育に求められるもの」というテーマで,京都産業大学の藤岡一郎学長との対談が掲載されたことは,県内の多くのご父母がご存知のことと思う。 藤岡一郎学長が本校の4期卒業生であることがきっかけで,この対談の運びとなった。 最初,愛媛新聞社から電話を受けたときに,「高校教育については多少の意見も言えるが,大学教育となると自分の立場で発言できる材料が少ないのでお引き受けしがたい。」と丁重にお断りした。ただ,藤岡一郎学長には以前にもお目にかかったことがあり,学長として素晴らしい見識をお持ちであるばかりでなく,人間味あふれる方だということが分かっていたので,再度の要請にお応えさせたいただくことにした。 何しろ,過去にインタビューを受けたことは何度か経験があるが,対談は初めてである。あらかじめ,テーマをいただいていたので,自分の思うところをプリントにしたためて,愛媛新聞社の会議室へ出かけた。 恥ずかしい話だが,わたしは愛媛新聞社が新築されていることを知らなかった。伊予鉄道の大手町の駅で下車して,徒歩3,4分で到着したものの,新築の建物を通り越して,以前の社屋の前に立ったのである。よく見ると,愛媛新聞社とは書かれていない。不思議に思って振り返ると,その隣に素晴らしい建築物があるではないか。 1階のロビーに入ると,社員の方々が出迎えてくださった。まもなく,藤岡一郎学長が京都産業大学の関係者の人たちと一緒にロビーにお見えになり,共に階上の会議室へと向かった。 会議室に入ってすぐに,愛媛新聞社の社長がご挨拶にお見えになった。愛媛新聞社の社長も本校のOBで,しばらく愛光のことが話題になった。 さっそく,対談に入った。それぞれが,与えられたテーマに従って意見を述べるのであるが,対談である以上,受け答えがなくてはならない。この受け答えは,実際にやってみると,結構難しいことだということが分かった。わたしの不慣れが,記者の方に迷惑をかけてしまったような気がする。
05月20日(金)の松山は、新緑まぶしくすごしやすい陽気です。
高Ⅱをのぞいてみましたの続きを読む
今日も体育大会の様子を紹介します。
体育大会(ホアン理事長撮影)の続きを読む
昨日に続いて、体育大会の様子を紹介します。
体育大会(高Ⅲアトラクション)の続きを読む
今日は多くの保護者が来校されました。
参観日(父母の会総会・学級懇談会)の続きを読む
午後から小雨になり、明日、体育大会の予行練習ができるように いろいろと準備が行われています。
進路探求旅行(その3)の続きを読む
4月24日(日)の午後12時30分から約30分間,聖ドミニコ寮の庭園(卒寮生が記念樹を植樹している庭園)で,愛光寮・寺尾佐代子寮母の報恩碑移設の除幕式が行われた。 愛光寮は愛光学園の草創期に最初の寮として設置されたもので,田中忠夫初代校長の要請によって,伊予市の建設業・寺尾萬蔵氏が私財を投じ,昭和31年3月に定員50人の寮を建設したと「愛光寮記念誌」に記されている。 宮前川の拡張に伴い,立ち退きを余儀なくされた昭和50年3月まで,19年間にわたって,学園経営の聖トマス寮とならんで,この寮に県内外の生徒がお世話になった。 愛光寮の最初の寮母は寺尾佐代子さんで,生徒に対する献身的なお世話は,今も寮生たちの間で語り継がれている。寺尾佐代子寮母さんは昭和39年,36歳の若さでお亡くなりになったため,その遺徳を偲んで昭和40年に,愛光寮生たちの手で報恩碑が建立された。 宮前川の拡張工事後,寺尾家所有地に移設されていたが,お世話になった約200名の寮生OBが将来的な碑の管理を気遣い,このたび,愛光学園内への移設が決定したのである。 報恩碑移設の除幕式の式次第を紹介する。
開会 会長挨拶 愛光寮会会長 山川洋一郎氏 序幕 愛光寮会会長,理事長,校長,寺尾家代表 理事長挨拶 理事長 報恩碑へのお香,聖水 理事長 感謝の祈り 理事長 挨拶 寺尾家代表 校歌斉唱 閉会 除幕式には,愛光寮生OB約30名のほかに,寺尾家,学校関係者,そして,聖ドミニコ寮を代表して高3寮生5名が参列した。 報恩碑には次のように刻まれている。 「寮母さんの碑 寺尾佐代子さんに捧ぐ 一粒の麦落ちたり」 この後,午後2時から「愛光寮報恩碑移設を祝う会」と「寮創設満55周年記念第18回総会」が市内の会館で開催された。
今日からゴールデンウィーク明けの授業が再開しました。
高3古典+放課後掃除の続きを読む
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