わたしは昭和62年に小型船舶操縦免許を取得した。来年の9月で5回目の更新を迎える。車の免許と異なり,5年ごとに更新することになっている。しかも,どういうわけか,更新日の1年3か月前から手続きができることになっており,先日,四国海技免状センターから更新の案内が送られてきた。
最近,海のレジャーが盛んになってきており,船舶免許を取得する人が増えていると聞いているが,わたしが免許を取得した理由は少し異なっている。
クラス担任あるいは学年主任をしている当時,クラスの生徒や学年の生徒を引率して,わたしのふるさと,興居島に行く機会がよくあった。島では,砂浜でバーベキューや,魚釣り,そしてゲームをして楽しく過ごしたことが思い出に残っている。魚釣りは磯釣りではなく,櫓でこぐ伝馬船を借りて,島の200メートルほど沖合でする船釣りである。
若いころは船を櫓で操るのが得意で,手漕ぎボートと競争をしても,負けることはなかった。
たぶん,昭和62年の春であったと思うが,生徒を引率して興居島へ渡り,伝馬船に乗せて櫓をこいでいた時に,「しんどいなあ。」という思いがした。それは,伝馬船といえども,定員があり,生徒を何回かに分けて沖合につれていくには,何度も往復しなければならなかったからであろう。
たまたま,この伝馬船に船外機を備えるという話を持ち主から聞いたので,それならば,免許を取ると楽になると考えて講習を受け,免許を取得した。
船外機を使うと短時間で目的の場所に到達するため,生徒たちの魚釣りの時間を延長することができる。
ある年のこと,どういういきさつでそうなったのかは忘れたが,高校Ⅰ年E組の生徒の遠足に引率教員の一人として付き添うことになった。
わたしの役目は生徒を船に乗せて,沖に浮かぶ小島(カモセ島)を周遊することであった。当日,魚釣りをしたかどうかは,はっきりとは覚えていない。
その時,わたしにとっては初めてで,それ以降も経験したことのないことが起こった。少し沖合に出たところで,エンジンがストップしてしまったのである。最初はエンジンの故障だと思い,近くを通る漁船に曳航してもらおうと手を振っても,相手に伝わらない。
そこで,もう一度,エンジンを確かめてみると,なんと生徒が座っていたプラスティック製の蓋の部分にガソリンを送るビニールパイプが挟まっており,重みでこのパイプがはずれていたということが分かった。早速,接続をして,エンジンを始動させようとした。ところが,この船外機,ひもを勢いよく引っ張ることによって始動する構造になっているため,結構な力を必要とする。ガソリンが十分に流れていないこともあってか,なかなか始動しない。そのうちわたしは疲れてしまった。やむを得ず,生徒の一人にひもを引っ張るように頼んで,わたしは櫓を漕ごうと考えた。幸い,島の湾の中なので,沖合に流される心配はなかった。それでも潮流があり,風は吹いている。船はそれほど簡単に進まなかったが,そうこうしているうちに,生徒が何回か,始動のひもを引っ張ったとき,ついにエンジンが始動した。
「やったー。」という歓声が起こった。生徒たちと握手をして,無事,港に引き返した。このことで,海の上ではトラブルが起きた時に対応が難しいということを実感させられた。当時は携帯電話などの通信手段もなく,海上ではエンジンが故障した場合,他船の力を借りるか,自力で櫓を漕いで引き返すかの二つの手段しかなかった。
最近では,自分で船を操舵することはほとんどなくなってしまったが,海上では,安全のため,3重,4重の策を立てておかなければならないと思っている。