2012年3月アーカイブ
今日は3日目の午前中の様子を紹介します。
中3進路探求旅行(関西)その5:モロゾフ編の続きを読む
今日は関西旅行の2日目後半を紹介します。
中3進路探求旅行(関西)その4の続きを読む
今日は2日目の前半を紹介します。
中3進路探求旅行(関西)その3の続きを読む
今日は進路探求旅行の1日目午後を紹介します。
中3進路探求旅行(関西)その2の続きを読む
今日から中3自宅生の希望者(20名)による進路探求旅行が始まりました。
中3進路探求旅行(関西)その1の続きを読む
今週の月曜日に松山家庭裁判所を見学しました。(中3・高1の有志)
家庭裁判所を見学しましたの続きを読む
先週の金曜日に本校の高1生が上記タイトルの賞をいただきました。
愛顔のえひめ文化・スポーツ賞の続きを読む
学年末考査3日目です。
ウニの観察(高Ⅱ生物)の続きを読む
今日は学年末考査2日目。
4期生からのプレゼントの続きを読む
今日から学年末考査が始まりました。
今日から学年末考査です。の続きを読む
さて,今日の記念の日に,もう一つ,地球を含む宇宙が一つの生命体ではないかという話をしてみましょう。 46億年前に誕生した地球と,この地球を内包する,137億年前に誕生した宇宙が生命体であるというと,皆さんは笑うかもしれませんが,イギリスの科学者,ジム・ラブロック氏がNASAで働いていた当時,地球と生物が相互に関係し合い,環境を作り上げていることを理由に,地球が巨大な生命体であるという仮説,いわゆるガイア理論を提唱しています。つまり,それは,地球の生物,大気,海洋,そして地表は単一の有機体で,相互に影響し合い,複雑なシステムをなし,われわれの惑星を生命にふさわしい場所として保つ能力を備えているのではないかという考えです。 わたしは,地球が,いや宇宙全体が,筑波大学名誉教授の村上和雄氏や『人類を救う哲学』の著者である稲盛和夫氏,同じく哲学者の梅原猛氏が唱える「サムシング・グレイト」(何か偉大なるもの),そのものではないかと想像するのです。 地球や宇宙がSomething Greatそのものであるとすると,われわれはSomething Great の体内で活動していることになります。 このように考えてくると,われわれはこの地球上でどのような生活を送らねばならないかが見えてくるのではないかと思うのです。 特に,地球環境に対して人為的な介入を行うことについては,現代の科学技術による人間中心の近視眼的な措置を計画するのではなく,もっと,地球という体にやさしい判断をすべきだ,という考えに至るのではないでしょうか。 地球の資源を活用する場合に,Something Great の体の一部を使わせてもらっていると考えると,慎みの気持ちが湧いてくるでしょう。地球温暖化についても,Something Greatの体内であると考えると,地球が体調を整える余裕のある,ゆるやかな変化にしていかねばならないことに気づくことでしょう。自然や他の生物との関係においても,共存を図らないと,地球の体調が崩れてくることにつながります。以前に,傲慢な文明は歴史上,必ず滅びているという話をしましたが,われわれの文明を保持したいのであれば,慎みの気持ちが必要不可欠なことなのです。 新約聖書の「テモテへの第二の手紙」の第1章7節で,パウロがテモテに向かって「神がわたしたちに下さったのは,力と愛と慎みの霊である。」と述べているように,神は力や愛において支えてくれてはいるものの,傲慢な態度になることなく,慎みの精神を持って自分以外の他人のために生きることをわたしたちに教えています。自分の幸せばかりを求めるのではなく,他人の幸福を考える気持ちを持たなければ,いずれ世界は行き詰まり,人類に未来はないと言っても過言ではないとわたしは,考えています。 最近,エコロジーという言葉をよく耳にします。エコロジーという言葉は,狭義には生物学の一分野としての生態学のことを指しますが,一般には,自然環境を保護し,人間の生活との共存を目指すという意味で用いられています。 今後は,人間の利益中心のエコロジーではなく,ノルウエーの哲学者,アルネ・ネス氏が提唱する地球中心のデイープエコロジーの考え方が必要になってくるのではないかとわたしは考えています。 ネス氏は,「すべての生命存在は,人間と同等の価値を持つため,人間が生命の固有価値を侵害することは許されない。また,環境保護それ自体が目的であり,人間の利益は結果にすぎない。」と述べています。 これから皆さんが,どのような形で社会にかかわっていくかは,それぞれの夢やビジョンによって異なりますが,どの世界にチャレンジしても,地球という生命体の中で暮らしていることを念頭において,謙虚な気持ちになり,私利私欲のない無私の精神で新たなるチャレンジに向かうという姿勢を忘れないでください。 宇宙や地球の歴史から見ると,われわれ個々の人間は,地球上にほんの一瞬だけ,肉体を借りて生かされているにすぎないのです。一方,肉体とは違って,心は個々の自由に遣うことができますから,生きていると表現できるでしょう。わたしは,この意味で,人間は生かされ,生きているのではないかと考えるのです。他の生物も多少の差はあっても,歴史の長さから見れば,ほんの一瞬,この地球上に存在しているに過ぎません。ただ,自由に遣える心を持つ人間が,心をどのように遣っていくのか,これこそが,徳性の問題であり,永遠に地球上に存続するのであります。「人間の尊厳」という言葉がありますが,この言葉を用いることができるのは,自由に遣える心を,他の生物との共存を図ることに遣う時にのみ言えるのだとわたしは思っています。稲盛氏の言う「人格」,コヴィー氏の言う「誠実,謙虚,勇気,勤勉」は,個々の心の遣い方によって決まるものであり,これこそが地球の未来を決定すると申し上げて,卒業生の皆様への餞の言葉といたします。 最後に,高い所から誠に失礼とは存じますが,ご父母の皆様方に一言ご挨拶を申し上げます。 一部省略 それでは54期生の皆さん,お別れです。愛光学園の卒業生として,聖ドミニコの理想,深い知性に裏づけされた信念と,清い人生観より生まれる高潔な徳性を兼ね備えた「愛と光の使徒」として世界に羽ばたいてくれることを期待し,それぞれの道での健闘と幸福を心よりお祈りいたします。 今年度の「チュータのひとりごと」は今回で終了です。新年度は4月15日(日)に掲載予定です。
今日は3つ紹介します。
朝と昼と放課後の様子の続きを読む
昨日からの雨で、校内には水たまりが所々出来ています。
試験1週間前です+父母の会全体委員会の続きを読む
親愛なる54期生の皆さん,皆さんは六年間あるいは三年間の蛍雪の功を積んで今日只今,本学園を巣立とうとしています。まことにおめでとうございます。 一部省略 54期生は,本学園が男女共学化5年目の中1生として入学した,男女共学第5期生であります。あれから6年間,あるいは途中,高校で入学した皆さんは3年間,学園の期待を担い,小池学年主任を中心とする高3学年部の指導のもと,立派に育ってくれました。皆さんが積み重ねてきた努力に対して,心より「卒業おめでとう。良く頑張りました。」と申し上げます。 この言葉と気持ち以上に付け加えるべきことはないのですが,皆さんの新しい人生の門出を祝う記念の日でありますので,日頃感じていることを述べ,皆さんを送る激励の言葉にしたいと思います。 在学中に何度も「世界的教養人」と「愛と光の使徒」について触れましたが,高校生活最後の式となるこの機会に,もう一度触れておきましょう。 愛光学園の設立目的は, 「カトリック精神に則り,カトリック聖ドミニコ修道会の教育方針に従って,世界的教養人を育成すること。」であります。 初代校長田中忠夫先生は,世界的教養人を 「社会が中等学校に期待している第1のことは,一流の大学にも入学し得るような深い知性と,世界のどこへ出しても恥ずかしくないような高い徳性を涵養することであると考え,これをわれわれは世界的教養人という標語で要約した。」と述べています。 深い知性の面では6年間,あるいは3年間,皆さんの一人ひとりが主体的に学ぶ姿勢を堅持しつつ,各教科の先生方にしっかりと鍛えてもらいました。 また,高い徳性の面でも,神父様や学級担任,そして教科担当の先生方の教えを受け,さらには,ご父母をはじめとするご家族のよき導きによって磨かれてきたことと思います。 わたくしも,皆さんの中学1年次に,週に1時限ではありましたが,英語2を担当し,パワーポイントと幼児用のキーボードを用いて,リズムで学ぶ英語を中心に学問の基礎の手ほどきをし,皆さんの知性の一端を磨かせていただいたことが,つい昨日のように思い出されます。 徳性を磨くという点でも,始業式や終業式,さらには入学式,卒業式等で様々な話をしてきました。 わたくしは,皆さんやご父母の前で,「世界的教養人」としての深い知性と高い徳性を兼ね備えた「愛と光の使徒」となり,さらに社会のよきリーダーになってほしいと,何度も述べてまいりました。 昨年8月発売の「プレジデント」という雑誌に,JALの再建に取り組んでいる稲盛和夫氏と,7つの習慣の創始者,スティーヴン・コヴィー博士の対談が掲載されており,その中で,稲盛氏は,次のようなことを話しておられます。 「わたしは,リーダーに必要なのは,能力よりも人格だと考えています。リーダーの人格がゆがんでいたり,よこしまなものであれば,どんなに能力が高くとも,もたらされる結果は,間違ったものになります。むしろ,能力が高い分だけマイナスも大きくなるでしょう。」 さらに稲盛氏は,「わたしは,常日頃から人間として何が正しいのか,どうやってその正しいことを貫こうかと,そればかりを考えています。経営における判断も『人間として正しいか,どうか』を基準にしてきました。損得よりも,正しさを重んじてきたつもりです。長い目で見れば,そのほうがビジネスとしても成功すると思います。」とも語っています。損得よりも,正しさを重んじるという考えは,何もビジネスの世界だけに限ったことではありません。社会のあらゆる分野において言えることであります。 また,原則中心のリーダーシップを唱えるコヴィー氏は,原則というものを,誠実さと正直さとし,言行一致が大切であると述べています。さらに,彼は正義,奉仕,忍耐,勇気などを原則の例として挙げ,アメリカ建国200年の歴史の中で,最初の150年に成功した人々は,誠実,謙虚,勇気,勤勉という,言わば人格主義であったと語っています。 本校の校名となっている愛光,愛は徳性を,光は知性を表しているので,愛光学園は徳性・知性学園とも呼ぶことができると申し上げましたが,順番は徳性が先に来て次に知性がきているのです。もちろん,大学入試に限っては,知性が優先されるのでありますが,最終的に人間の値打ちを決めるのは,徳性であることを忘れてはなりません。 昨年,3月11日に起きた東日本大震災後の,世界の人々,特に日本人の対応に,誠実さと正直さを見て取れる場面が数多くあったことが,あの甚大な被害の中で一筋の光明となったことは,まだ記憶に新しいことと思います。 われらの信条の中に,「学問に対する情熱と道義に対する渇望とはわれらの生命である。」と記されていますが,道義とは,「人が人として踏み行うべき道」であります。この「人が人として踏み行うべき道」が,震災後,多くの日本人及び世界の人々によって示されたことを初代校長田中忠夫先生は天国でお喜びなさっていることと確信しております。わたしたち,愛光という絆で結ばれた者すべてが,この田中先生の遺された「道義に対する渇望」という言葉を,今後も大切に持ち続けていこうではありませんか。 |