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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第364回(地区別懇談会 奇遇)

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  今年初の地区別懇談会が松山で行われた。中3と高Ⅰの懇談会で,それぞれ,「ワシントンホテル」と「にぎたつ会館」を会場として同日に実施された。
  「父母の会」の担当の皆様には,会場の予約,案内の発送,参加の有無等,お世話になり,大変感謝している。
  わたしは今回,中3の方に出席した。
  会の流れは,主に全体会と分科会,そして懇親会の三つに分かれている。
  最初の全体会は学校全体の話で,わたしは建学の精神から入る。建学の精神は教職員,生徒,そしてご父母にぜひ知っておいていただきたいという思いを強く持っているからである。
  わたしの原稿は30分から1時間まで対応できるように作成しているのだが,それぞれの地区別懇談会に合わせて時間を調整するようにしている。というよりも与えられた時間が迫ってくると,大切な事柄を手短に述べて終了していると言ったほうが正しいかもしれない。
  全体会,分科会と続き,懇親会に移ったが,この席で驚くできことがあった。ご挨拶に見えた中3生のお母さまが,わたしの少年時代,大変お世話になった医者のお孫さんであるということが分かったのである。
  わたしは小さいころ,栄養などという考えがほとんどない時代に育ったこともあって,体が弱く,この女医の先生にたびたび診察してもらったことをはっきりと覚えている。
  特に強烈な思い出として残っているのは,ペニシリンの注射を臀部にされたことである。また,扁桃腺をよく腫らしたことも,しばしば診療所に通う理由の一つであったのだろう。
  わたしは高校時代まで瀬戸内海に浮かぶ忽那七(くつなしち)島(とう)の一つ,興(ご)居(ご)島(しま)で過ごした。当時,島には約5,000人の住人がいたが,この女医の先生の診療所が唯一の病院だった。
  医者は病気を治してくれるので,神様のような存在であり,今でも,当時の先生のお顔は,はっきりと頭の中に思い浮かべることができる。
  そう言えば,お会いしたお母さまのお顔に,女医先生の上品なお顔が重なって見えた。会話の中にお父様も入り,しばし,興居島での少年時代に戻って,なつかしい思い出が次々に頭の中を駆け巡った。
  会話の途中で,わたしの主治医(?)のお孫さんが本校の生徒のお母さまでいらっしゃるということは,自分が年齢を重ねていることに他ならないではないかということにはっと気付き,少年時代から一気に現実の世界に引き戻された。


2013年1月

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