2013年2月アーカイブ
3時間目,高ⅠC組で英語OCの研究授業が行われました。
研究授業・物理授業 (高Ⅰ)の続きを読む
毎年恒例の中学マラソン大会を2月16日(土)に開催した。 毎年,このマラソン大会の挨拶文を考えるのだが,話す内容を決めるのに,かなりの時間がかかる。 今年の挨拶文を考えている時に,2月10日(日)に開催された愛媛マラソンのニュースが飛び込んできた。本校40期卒業生の城武雅さんが,一昨年に引き続いて今年も優勝の栄冠に輝いた。城武さんは愛光中学・高等学校,そして東京大学卒である。この経歴から,新聞は彼のことをIQランナーと呼んでいる。 さっそく,彼と連絡をとり,まず優勝のお祝いの言葉を述べた。続いて,2月16日(土)に本校で実施する中学マラソン大会のために,後輩への激励のメッセージをお願いした。 後輩のためにということで,快く引き受けてくださり,自筆のメッセージをファックスで送っていただいた。 メッセージを紹介しよう。 ―― 愛光の後輩たちへ こつこつ毎日努力すれば何でもできるようになると思います。勉強もスポーツもそれ以外も。 だから,自分の可能性を信じて毎日頑張ってください。40期 城武雅 ―― ご自身で努力を重ねている人物が語る言葉には,重みがある。卒業生の前向きに進む姿勢を見て,後輩は勇気をもらう。 わたしはこの言葉を,中学マラソン大会で紹介し,生徒たちを激励した。 挨拶には次の内容を加えて生徒に話をしたので,掲載しておこう。 ――4年前のマラソン大会でオリンピック大会のマラソンの歴史について,また3年前の大会でマラソンの正式距離が,どうして42.195キロとなったかという話をしました。そして一昨年はオリンピックマラソンに女子がどのようにして参加するようになったかという話,そして昨年の大会では日本選手のメダルについて触れました。 そこで,今年は,マラソンの起源となったマラトンの戦いのことについて触れたいと思います。 英語では, Battle of Marathon と呼ばれています。 一部省略 この故事を記念して,1896年の第1回オリンピック・アテネ大会で,マラトンからアテネまでのマラソン競技が行われました。 皆さんはこの日のために,体育の授業や,放課後にそれぞれが練習を積み重ねてきました。その成果を十分に発揮してくれることを心から期待しています。 マラソン大会の目的の一つ,「最後まで走りとおすこと」に一つの意味があるのです。頑張ってください。――
先週16日(土)の午後、図書館主催のカルタ大会が行われました。
カルタ大会&書道展&マラソン大会(中2)の続きを読む
今日の松山は雨です。
マラソン大会(中3)の続きを読む
昨年の4月から愛媛県私立中学高等学校連合会の会長職を務めている。 わたしが,私中高連の会長を引き受けたのは,本校の校長職に就任後,これまで,他校から様々な場面においてサポートをしていただいたからである。つまり,お世話になったご恩返しをさせていただこうと思って,快く引き受けさせてもらった。 この1年間,会長としての役割を果たすために力を注ぎ,いくつかの問題に対処してきた。 愛媛県には正確に言うと,高等学校15校(分校を含む),中等教育学校2校,中学校4校,計21校の私立中学高等学校がある。 すべての学校を紹介してみよう。 今治精華高等学校,今治明徳中学・高等学校,済美高等学校,済美平成中等教育学校,聖カタリナ女子高等学校,帝京第五高等学校,帝京冨士中学・高等学校,新田高等学校,新田青雲中等教育学校,松山東雲中学・高等学校,松山城南高等学校,松山聖陵高等学校,日本ウェルネス高等学校,未来高等学校,愛光中学・高等学校の21校である。 第1回私学振興大会の報告でも触れたが,「私学は一つ,教育は私学から」という理念のもと,私学が連携を図りながら,情報の共有に努めている。 年間を通して,会長として出席しなければならない会議がいろいろとあり,とまどうことも多い。しかし,時間が空いていれば,できるだけ多くの会議に出かけるようにしている。 会長として出席する様々な会議で,政治,経済,教育,文芸といったいろいろな分野の人たちと交流ができる。実はそこで驚くほど新しい情報を得ることが多い。そして,その新しい情報を校内で,また私中高連で役立てていくことができることをありがたいことだと感謝している。 「人を援助することによって,自らが助かる」とはよく言ったものである。 先日もNIE(Newspaper in Education)の会合で,NIEに取り組んでいる他校の先生方,そして,各新聞社の記者の皆様と情報交換をする機会があった。 このような会合では,自分が知らないことも多いが,今後とも change と challenge(変革と挑戦)の気持ちを強く持ち,会長としての職務を全うしたいと思っている。
今日は参観日です。多くの保護者の方々が来られています。
中1カルタ大会(参観日)の続きを読む
29期生は,ほとんどの者が自分たちの英語の成績が年間を通して全国トップであったことを知っていると思っていたのだが,中には気付いていない者もいたようである。そして,このことに触れると大きな拍手が起こった。「英語のおかげで大学にパスしました。」と言ってくれるのがとてもありがたかった。もちろん,実際は他の教科もできていたから合格できたのであるが,厳しく鍛えた生徒たちからそのようなことを思い出として語ってもらえるのは大きな誇りである。中にはわたしが丹精を尽くして作成した「CHUTA BOOK」を持参してくれた者も数名いた。どのページを開いても一目で学習の痕跡が見て取れる記入があった。この「CHUTA BOOK」を自分の子供に見せて,父親の勉学の証拠を示すのだと言っていた。 下宿訪問については,体温計の温度を上げようとして,脇に挟んでこすった生徒がおり,40度くらいまで上がってしまったという話をした。すると,同窓生の間から,「それは○○君だ」という声がした。その通りであったので名前を挙げて話を続けたところ,会場は笑いの渦に巻き込まれた。 よく考えてみると,車で下宿周りができたのは,そのようなやる気を起こさせてくれた生徒のおかげだったのではないか。自分の持てる最大の力を学習指導と生活指導に向かわせてくれる魅力を生徒たちが持っていたのであろう。このような生徒たちと巡り合えたことは,わたしの人生の最高の幸せであり,この29期生に感謝をせねばならないと改めて気づいた一日であった。 翌日の午後,同窓会に参加した100人の内,およそ50名が学校に集まり,和田隆一教諭の国語,平岡道雄教諭の数学,そしてわたしの英語の模擬授業を受けた。30分の授業を2回繰り返す形の模擬授業である。わたしは中学1年生用に作成した「CHUTA BOOK」の中から,英作文の問題をプリントにして配布し,一人ひとり指名して解答を求める形で授業を行った。もとD組の生徒たちを指名する際に,きちんと名前を呼ぶことができたのには,われながら驚いた。 立派になった社会人を前に中学1年生の英語というのは,失礼な話だと思ったが,リズムで覚える英語に挑戦してもらった。29期卒業生がわたしの授業にどのような感想を持ったかは分からない。しかし,25年前に学習した教室で英語をリピートする彼らの姿は生き生きとし,楽しそうであった。 今年からNHKの基礎英語1でも,英文をリズムに乗せて練習するコーナーができた。わたしは本校の52期生が中1のとき,つまり8年前から「お子様用キーボード」のリズムを利用して英文をリピートする方法を導入した。英語の考査時間中に,リズムで英語が頭に浮かんでくると言った生徒がいたので,キーボードを用いた授業が無駄ではなかったと,新たな挑戦に手ごたえを感じたものだ。 教育の世界にも,change と challenge(変革と挑戦)が必要不可欠である。前年と同じことを繰り返すのであれば,さほど教育は難しいことではない。しかし,それでは何の進歩もないし,教師としての充実感もないであろう。今日の自分は昨日の自分であってはならないのである。新たな自分を求めてチャレンジするからこそ,教師としての人生が楽しいのではあるまいか。チャレンジ精神がなくなったとき,それは教師としての資格を失った時であると常々自分に言い聞かせている。 中間考査2日目です。
試験が終わった直後の様子の続きを読む
中1から高Ⅱは今日から中間考査が始まりました。
今日から中間考査です。の続きを読む
29期生の同窓会が道後のホテルであった。以前に紹介した宮本武之輔銅像完成記念式典も同じホテルで行われたので,道に迷うことはなかった。また,わたしはふつうアルコールを口にしないため,この日も車で出かけた。 29期生はいろいろな面で話題の多い学年であった。とにかく,元気とやる気があり,時に羽目を外し過ぎるパワーあふれる学年という印象が残っている。 ホテルは約100人の同窓生が集まっているという。卒業後25年ほど経過しているので仲間の中でも,「おまえ,だれやったかなあ。」「俺よ!俺はおまえのこと分かるぞ!」などという会話が飛び交っている。わたしは自分のクラスの生徒はすべて分かるという思いをもって出かけたが,予想は見事に外れ,「誰やったかなあ。」という言葉をたびたび発しなければならなかった。でも,ひとたび名前を聞くと,高校時代の顔が頭の中にすっと浮かんでくるから不思議である。 当時の担任団は,A組担任・平岡道雄先生,B組担任・堀本邦夫先生,C組担任・和田隆一先生,D組担任・中村道郎,E組担任・湯山秀俊先生で,学年主任は湯山秀俊先生であった。 わたしにとっての29期生は,愛光に赴任して中3から高Ⅲまで,4年間連続して担当した初の学年であった。さらに,愛光の英語科に赴任して「リーダー」を担当したのも初めてであった。とにかく,生徒に全国ナンバーワンの実力をつけることを夢見て,授業に燃えた。「CHUTA BOOK」なる独自の副教材を作成し,宿題提出やチェックなど厳しく徹底して指導を重ねたことが記憶にある。 昨年度ご退職された河合審先生とペアーを組んで,この29期生の指導に当たったが,生徒たちは見事に期待に応えてくれ,高Ⅲの1年間,英語の校外模試で全国ナンバーワンとなる快挙を成し遂げた。 生活指導でも,寮訪問をし,面談等も相当回数行った。高Ⅲになって全員が下宿生活を送るようになったとき,朝,欠席している生徒の下宿を体温計をもって訪問し,熱のない生徒は全員わたしの車(9人乗)に乗せて学校まで送り届けた。このことには以前の「チュータのひとりごと」で触れている。この下宿周りのせいで,わたしの車はいつしか「護送車」と呼ばれるようになった。 会の途中でA組のクラス担任から順番に舞台の上で思い出話をすることになり,それぞれの教員がなつかしい思い出を語るたびに拍手が起こった。この学年には様々な思い出があり,語りだすと止まらなくなると思ったので,わたしは英語の成績と下宿訪問にしぼって話をした。
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