世界的教養人と全人教育
愛光創立の理念である,われらの信条は,「われらは,世界的教養人としての深い知性と,高い特性を磨かんとする,学徒の集まりである。」で始まる。この中の「世界的教養人」とはどのような人物かということになると,これはそう簡単に言い尽くせることではない。
何年か前に,香港の管区長が本校を訪問した際,歓迎の挨拶を,生徒が英語でするということになった。生徒が,英文をチェックして欲しいということで,読み進むうち,「世界的教養人」のところだけが日本語のままであった。生徒と二人でいろいろな英語を当てはめてみたが,どうもしっくりこない。そうこうしているうちに,時間ばかりが経過し,頭を抱えてしまった。その時,今や教育の世界では,当然のごとく使われている「全人教育」という言葉が頭の中に浮かんだ。英語では,「The Whole Man Education」であったことを思い出し,「世界的教養人」に対して,「The Whole Man」という英訳をつけた。もちろん,この英訳では,不十分のそしりを免れない。もうそろそろ,「世界的教養人」の適切な英語表現を考えねばならない時期にきているのではないだろうか。
愛光創立の理念である,われらの信条は,「われらは,世界的教養人としての深い知性と,高い特性を磨かんとする,学徒の集まりである。」で始まる。この中の「世界的教養人」とはどのような人物かということになると,これはそう簡単に言い尽くせることではない。
何年か前に,香港の管区長が本校を訪問した際,歓迎の挨拶を,生徒が英語でするということになった。生徒が,英文をチェックして欲しいということで,読み進むうち,「世界的教養人」のところだけが日本語のままであった。生徒と二人でいろいろな英語を当てはめてみたが,どうもしっくりこない。そうこうしているうちに,時間ばかりが経過し,頭を抱えてしまった。その時,今や教育の世界では,当然のごとく使われている「全人教育」という言葉が頭の中に浮かんだ。英語では,「The Whole Man Education」であったことを思い出し,「世界的教養人」に対して,「The Whole Man」という英訳をつけた。もちろん,この英訳では,不十分のそしりを免れない。もうそろそろ,「世界的教養人」の適切な英語表現を考えねばならない時期にきているのではないだろうか。