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チュータのひとりごと

2000年11月アーカイブ

教務のひとりごと(6)

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台風

 今年は,珍しく四国に上陸した台風はなかったと思う。台風上陸時に,本校生がどのように対応すべきかは,生徒手帳の21ページの「暴風警報時の休校について」という項目で,述べられている。

 実は,生徒には,別紙でもう少し詳細な連絡が次のように,伝えられている。

 「NHKの放送で,午前6:00から8:30分までの間に,中予地区に暴風警報が発令されている場合,休校になります。また午前6:00の時点で,警報が発令されている場合は,上記時間内に警報が解除された場合も,休校です。」

 島での生活で,この台風についての忘れられない体験があるので,先週に引き続いて紹介してみたい。

 瀬戸内海は波が穏やかで,海が荒れることはほとんどないと思っている人が多いのには驚かされる。しかし,台風がくるとなると,島の人たちは,一日がかりで,備えを怠らなかった。海側に面している出入り口や窓には,板をくぎで打ち付け,満潮時に上陸という情報がある場合は,一階の畳を全部上げて,海水につからないようにした。

 現在は,道幅も広くなり,波よけの設備もできたので,それほど心配する必要はないのだが,わたしの子供の頃には,家の前の4メートルの道路の先は,すぐ海であった。もちろん,波よけなどあろうはずがない。

 台風がくると,大きな波が岸に当たって,ドーンという体を揺さぶる轟音とともに,地響きを感じたものだった。そして,波が砕け散り,そのしぶきが,屋根瓦を洗うのである。しかも,それが何時間も繰り返される。翌朝起きてみると,道路が波でえぐられていることもあった。

 わたしは,台風接近という予報を聞くと,今でも,すぐ家の周りの片付けをし,雨戸をしっかりと閉め,暴風に備える。周りの者は,また始まったと笑っているが,この少年時代の恐怖とも言ってよい体験のせいか,じっとしていられないのである。

 昔から,怖いものの順番に,地震,雷,火事,オヤジが挙げられているが,わたしにとっては,これらのものより台風の方が,はるかに怖い存在として,記憶の中に鮮明に焼き付いている。

教務のひとりごと(5)

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 11月11日(土)のホームページで紹介した学校説明会の前日に,校内の大掃除があった。わたしの担当区域は,玄関前で,高ⅠAの生徒と一緒に,ごみや落ち葉を拾い集めた。その時,中学時代の掃除のことを思い出したので触れてみたい。

 わたしが通った中学校は,瀬戸内海に浮かぶ小さな島の中にある,当時,生徒総数300名余りの小さな学校であった。ちなみに,現在は,30数名になっているらしい。

 中学生活は全般的に楽しいものであったが,トイレ掃除だけは,逃れたいと,いつも思っていた。それは今のように水洗トイレではなく,汲み取り式のトイレであったため,清掃の時間に,「肥たご」に入れて,小高いところにある野壷まで,移動しなければならなかったからである。途中険しい踏み分け道の坂があり,ここを二人で運ぶとき,前で「肥たご」をかつぐか,後ろでかつぐかで,大きな違いがあった。ジャンケンで前か後ろかを決めていたが,後ろになると悲惨であった。急な坂道を登るため,後ろの生徒は竿を精一杯持ち上げなければならない。そうしないと,あの田舎の香水が自分の顔にかかってしまうのである。必死で持ち上げるのであるが,なにしろ背丈が低いために,バランスが崩れ,ひどい目にあったことが何度かあった。友人の中には,手を離したために,形容しがたい姿になった者もいた。

 この中学校での貴重な体験が,掃除は真剣に取り組むものだということを教えてくれたのであろう。生徒と一緒に掃除をするとき,いまだに思わず力が入ってしまい,つい声が大きくなってしまうのである。

「肥たご」... 屎尿を入れる桶

教務のひとりごと(4)

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一杯のみそラーメン

 中学の担任をしていた頃の話である。ある日,担当学年の生徒の一人が横にやってきて,「先生,相談があるんです。」と少し心配そうな顔をしている。「よし,今度ラーメンを食べに行こう。」と言うと,きょとんとした顔をしている。「なんだ,ラーメンは嫌いか。」と言うと,「いえ,そんなことはありません。」ということで,土曜日の昼に,いっしょにラーメン屋に行くことにした。


 約束通り,土曜日の午後,車に乗せて,ラーメンのおいしい店へ連れていった。わたしは,みそラーメンが大好きで,注文すると,彼も同じ品を注文した。


 彼は,車に乗ったときから,故郷や,家族の話などをしていたが,店に入っても,別に彼の「相談」はない。店の中でも,学校での面白い話や,楽しい話が続いた。結局,ラーメンがおいしかったということで,彼との話は終わった。


 その後,彼の表情から心配そうな様子は,全く消えてしまった。ラーメン店では,世間ばなし以外の話は何もしなかったのにである。ただ一杯のみそラーメンを食べたに過ぎない。まるでみそラーメンに心配事を解決してもらったようなものである。


 高校の卒業式の日,高Ⅲの担任の先生から,「職員室に挨拶にいきましたが,不在でしたので,お世話になったと伝えてください。」とわたしに伝えてほしいという,彼の伝言を受け取った。


 まさしく,黄金のラーメンであった。
                先週に引き続き,もうひとつ卒業生の下宿生活について紹介したい。

 寮生活から下宿生活になって,良いことは何か,という問いに,暖かい食事を取ることができるという答えが最も多かった。当時の寮は,食事が早い時間に用意されるため,せっかくのごちそうが,さめてしまうという問題があったので,これは,当然の答えかもしれない。

 下宿生のお世話をしてくださる人たちも,生徒のためを思って,いろいろな工夫をしてくれた。例えば,部屋を寮と全く同じ構造にしたり,学習時間をはじめとする日課を,寮の時間と同じにするなど,それぞれの下宿の特徴を生かして,生徒の生活環境を整えた。ありがたい配慮である。

 ところで,当然のことであるが,どの下宿でも,深夜に外出をすることを禁じる規則があった。しかし,規則を破るものがあり,下宿主が夜中まで起きて見張ることは,とうてい不可能であった。そこである下宿主が,赤外線センサーを塀に取り付けることを思いついた。これによって,生徒が夜中に出入りをすると,センサーが反応し,下宿主の部屋で音が鳴り,無断外出が防げると考えたわけである。

 ところが,取り付けて三日目に,下宿主はセンサーを外してしまった。夜中に何度もピンポン,ピンポンと反応するので,夫婦が不眠症になってしまったためだと,その下宿主が,笑いながら話をしてくださった。

 生徒に,このことを問いただすと,彼らいはく,「夜中に,猫がよく塀を飛び越えていましたよ。」と。なるほど,窮鼠,猫を噛むとはいうが,あべこべに一本とられたと,妙に感心してしまった。

2013年1月

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