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チュータのひとりごと

2000年12月アーカイブ

寮舎監

 2週続けて,前任校の塾(寮)生活の一部を紹介したので,今回は,本校の寮での体験を述べてみたい。

 わたしは,1977年(昭和52年)の4月から愛光に勤務しているが,その時寮を担当した経験をかわれて,寮務課に配属された。

 当時,本校の寮では宿泊指導があり,寮務課の教員は1週間に1度宿泊をしていた。そして,ときどき舎監の休日に舎監業務を代行するようなこともあった。

 ある年,わたしは,図書館の北側にあるドミニコ寮の舎監業務を1週間に1度,金曜日の夜に代行することになった。4年間の塾(寮)生活の経験があるので,仕事の内容はよく分かっていたし,睡眠時間が短くなることを除けば,そう大した仕事であるとは思っていなかった。しかし,毎週勤務をするうち,どうも生徒の一部に落ち着きがみられないことに気がついた。そこで,はっと思い当たったのである。翌日は土曜日であり,授業は4時間しかない。従って予習の量が少なくなり,学習時間も余ってしまう。そのため生徒の中にはある部屋に集まって,雑談をしたり,ゲームをしたりと,いわゆる寮内の学習時間中における違反行為をする者が出てくる。これが落ち着かない原因だと分かった。さっそく学習時間中に巡回を何度も繰り返すことによって,何とか防ぐことができたが,大変しんどい思いをした。

 学習時間が終わって消灯,就寝となるが,就寝後に再び違反行為をする者が出ているといううわさが,その後耳に入った。寮生は,教員が夜中までは見回りに来ないであろうとたかをくくっていたらしい。わたしは生徒が就寝した後,見回りをして,一旦床についたが,目覚まし時計を午前3時に鳴るように設定しておいた。そして午前の3時から見回りを開始したのである。

 3時といえば真夜中である。全員の寮生が寝静まっているのだから,物音一つしないはずなのに,結構にぎやかである。いびきから寝息までいろいろな物音が聞こえてくる。中には廊下にまで寝言が聞こえたりしている。それだけではない。うわさは的中して,生徒の中には,ほんの数名ではあるが,一室に集まって楽しく時を過ごしている元気者がいた。もちろん厳しく注意をしてそれぞれの部屋に帰した。こうして4~5週間指導を続けると,金曜日の夜は,起きていても必ず見つかるということで,違反者は全くいなくなった。そのうち寮生たちは,わたしが宿泊する日を「魔の金曜日」と呼ぶようになった。
 巡回をしていて生徒が一人も起きていないというのは嬉しいようでもあり,反面,寂しいような複雑な気持ちになったことを覚えている。

 しかし,時には,寮の学習時間で予習や宿題を終えることができなかった生徒が,消灯後,懐中電灯を使って学習をしている姿を目撃することもあった。教科書をめくるかすかな音で,起きていることが分かるのである。こういう場合は,「早く寝なさいよ。目に悪いよ。」とそっと声をかけて,静かにドアを閉じる。「懐勉」を勧めるわけではないが,その日のうちに仕上げねばならないことは,懐中電灯を使ってまでも仕上げるという生徒の姿に接して心うたれたものである。
    「懐勉」消灯後に懐中電灯を使用して学習をすること

教務のひとりごと(8)

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スキンシップ

 先週,生徒と一緒に豚を飼育した体験について述べたが,今回は,これらの豚と一緒に飼っていた羊のことに触れてみたい。

 なぜ豚と一緒に羊が飼育されていたのか,その理由は未だに分からない。時々毛を刈っていたが,その羊毛を売って収益を得たという話は聞かなかった。

 この羊が意外にも人見知り(?)をして,中1生になつかないので困った。毎朝,「先生,羊が動かないんです。何とかしてください。」と,生徒がわたしのところにやってくる。わたしは,そのつど谷間に降りて行って,羊を小屋から連れ出した。不思議なことに,この羊はわたしの言うことは,よく聞いたのである。忙しくて谷間に降りていく時間がない時に,何かよい方法はないものかと考えていたが,ある時学校から塾(寮)への帰り道に,何気なく谷間に向かって「メエーー」と羊の鳴きまねをしてみた。すると羊が「メエーー」と応えたのである。

 翌朝,生徒が羊を連れ出してほしいと言ってきた時に,試しに谷間に向かって,「メエーー」とやってみた。するとわたしの「鳴き声」につられて,羊が「メエーー」と鳴きながら小屋から出てきたのである。わたしはこれに味をしめ,毎朝,モーニングコール(?)を谷間に送ってやった。それ以来,わたしの「鳴き声」だけで,羊は中1生の誘導に素直に従ったのである。もちろん,時には谷間に降りて行って,やさしく話しかけながら,頭や体をなでてやるスキンシップを試みたことはいうまでもない。

 わたしは,生徒が忘れ物をしたり,宿題を忘れた時,理由を訊ねながら,その生徒の頭をなでることがよくある。「次は忘れてはいけないよ。」というメッセージを込めて,スキンシップを図っているつもりだが,羊と違って生徒は迷惑に思っているかもしれない。

教務のひとりごと(7)

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 塾(寮)生活

 寮の「安食日」や「中1生の居室」,「中2の学習室」の様子などを,ホームページで伝えているうちに,はじめて自分が教員になった頃,中学生と一緒に4年間の塾(寮)生活をしたことを思い出した。今回はそのことについて書いてみたい。

 当時,わたしは幼稚園から大学まである東京の私立中学に勤務していたが,学校の信条の中に塾教育というものがあり,中学,高校,大学がそれぞれの塾を持っていた。この塾は松下村塾の流れを汲むものであった。

 こうして昼間は学校の教師,夜は塾の舎監として,文字通り24時間生徒と共に生活をすることになった。どちらかと言えば,熱血型の自分にとっては,この二重生活ともいうべき厳しい勤務も全く苦痛に思ったことはなかった。

 しかし,ただ一つ,「これは,えらいことになったなあ。」と思ったことがある。それは,1年目の教員は豚舎の係長になるという,とんでもない慣習があったからである。

 豚舎は谷間にあり,そこまで豚に食わす残飯を持って降りていくのが一苦労であった。また夏には特にひどいにおいがするので,これには閉口した。汚れた豚舎の清掃は並大抵なことではなかった。

 豚は賢い動物で,きれい好きな面もあるが,どろんこ遊びが大好きでもある。中1生と豚舎係長のわたしが豚の世話をしていたのだが,豚は中1生が自分よりも小さいと見ると,突進して生徒が運ぶ残飯をよくひっくり返した。中1生に豚を飼育した経験などあろうはずがなく,もちろんわたしも初めての経験で,両者がおっかなびっくり世話をするものだから,豚はわれわれをからかっていたのかもしれない。こうして,いたずら好きで遊び好きの豚に翻弄される毎日であった。

 そして1年間大事に育て,まるまると太った数頭の豚を売った収益で,塾生全員のクリスマスプレゼントを買っていた。

 このクリスマスプレゼントは中3生が選ぶことになっていたが,わたしにもプレゼントがあった。塾で最初にもらったプレゼントが,アタッシュケースであった。それ以来,学校へ授業の道具を持ち運ぶカバンは,アタッシュケースとなった。古いアタッシュケースが壊れて,新しいものを購入するたびに,ともに過ごした塾生と豚のことが不思議に頭に浮かんでくるのである。 

2013年1月

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