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チュータのひとりごと

2001年5月アーカイブ

英語リスニングとスピーキング

 わたしは英語の教員になってから,アメリカを何度か訪れたことがあるが,それまでは海外の経験はなかった。

 大学に入学してE.S.S. に入部し,初めてアメリカ人と会話をし,My name is Michiro Nakamura. と言うだけで緊張したことをつい昨日のできごとのように覚えている。

 わたしが最初に赴任した学校は,speaking を大切にする学校であり,外国帰りの生徒も何名かいたため listening や speakingができないと,やや恥ずかしい気持ちにならざるを得なかった。また外国からの訪問が頻繁にあるため,通訳をせねばならない機会が多かった。それで毎日 English 900 という教科書のテープを聞いて猛練習をしたが,そのかいあって少しイントネーションが良くなったと自負している。

 愛光に赴任して,今度は難関大学の入学試験問題を解くことになった。そのためだけとも言えないのだが, speaking や listening にはあまり力を入れないようになった。

 ところが41期生が入学し,この期が高3になったときにセンター試験にリスニングが導入されると聞いて,このままではいけないと思った。当時英語科の主任をしていたが,何とかしてリスニングの指導を中学生から始めたいと,英語科の先生方と一緒になって知恵をしぼった。

 一番のネックとなったのは,中1,中2の寮生がテープレコーダーを持つことを禁じられていたことである。当時の寮務課に相談をしたが,とても許可になるような状況ではなかった。かと言って,そう簡単にあきらめるわけにはいかない。

 教科会で話し合いを重ね,寮に特別室を作るかどうかなどという話をしているときに,現在の英語科主任の西村清先生から素晴らしいアイディアが出された。その時,どの教員も「これだ」と思い,寮生の問題は一挙に解決できたのである。

 つづく
経営の神様

 以前「教務のひとりごと(17)」で「ものがみな低いところに集まる」という話をしたが,実はもう一つわたしには考えさせられた次のような話がある。

 ある経営者が,「経営はどのようにするとうまくいくのでしょうか。」と訊ねたときに,「高く仕入れて安く売りなさい。」とアドバイスを受けた。この経営者は自分の耳を疑った。それもそのはず,高く仕入れて安く売ったのではもうけが少ないからである。そこで,もう一度聞き直したが,答えは同じであった。

 理由はこうである。物を高く仕入れると,生産者が喜ぶ。そして安く売れば消費者が喜ぶ。その両者の喜びが経営者の経営をうまく成り立たせるというのである。

 わたしは経営のことはよく分からないので,このことが本当に経営をうまく成り立たせる秘訣になるのかどうかは確信がもてない。

 ただ「高く仕入れて安く売る」という言葉を聞いたときに,わたしはこれを生徒と教師と父母の関係に置き換えて考えた。

 生徒の力を高く評価し,教師の労働力を安く売る,すなわち教師は生徒のために労を惜しまず仕事をするということになるだろうか。教師が生徒の能力を高く評価し,骨身を惜しまず指導することによって生徒がやる気を出し,生徒が努力する姿を見て教師と父母が喜ぶ。この教育の三位一体となる「親と子と先生」のやる気や喜び,そして信頼感が,教育をより充実したものにするのではないかと思えたのである。

教務のひとりごと(21)

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 歌手の三波春夫がつい先日亡くなった。歌で日本人の心を揺さぶる歌手がまた一人亡くなったことは残念である。

 わたくしごとで恐縮であるが,三波春夫の歌をこよなく愛したわたしにとって彼の死は大きなショックであった。

 実はわたしは人前で歌を歌うときは,彼の歌を一番よく歌う。彼の歌を歌っていると,自然に心が落ち着き,自分の精いっぱいの音域を使って懸命に声を張り上げていると,なぜか,しあわせな気持ちになれるからである。ちなみにわたしが彼の歌を最初に歌ったのは18歳のときで,場所は神奈川県の江ノ島にある岩本楼という旅館の舞台であったと記憶している。曲名は名曲「俵星玄蕃」で,それ以後この歌はわたしの愛唱歌となった。

 あの素晴らしい声は,彼の人生そのものであったと言うと大げさであろうか。浪曲師として出発し,歌謡曲に転向しても,独自の歌の境地を開いて観客を魅了した彼も,若い頃大変苦労をしたという話を聞いた。しかし,その苦労の積み重ねが,あの透きとおった声に表れているように思う。人が味わった苦労は無駄にはならない。人の目に触れない努力こそが,その人の値打ちを決めると思うからである。

 生徒も教師も,いや人間誰しも苦労を厭ってはいけないとよく言われる。楽な道と苦しい道があるときには,苦労の道を選ぶ方がよいという言葉を聞いたことがあるが,苦労が人間を作るから,このような言葉が生まれたのであろう。苦労は竹に例えれば,節ということになるだろうか。節ができてそこから新たな芽が吹き出すということを考えると,人生にとって苦労という節はなくてはならないもののような気がするのである。

 日本の国民的歌手と言われた三波春夫の栄光を支えたものは若い頃の苦労であったように思う。

2013年1月

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