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チュータのひとりごと

教務のひとりごと(21)

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 歌手の三波春夫がつい先日亡くなった。歌で日本人の心を揺さぶる歌手がまた一人亡くなったことは残念である。

 わたくしごとで恐縮であるが,三波春夫の歌をこよなく愛したわたしにとって彼の死は大きなショックであった。

 実はわたしは人前で歌を歌うときは,彼の歌を一番よく歌う。彼の歌を歌っていると,自然に心が落ち着き,自分の精いっぱいの音域を使って懸命に声を張り上げていると,なぜか,しあわせな気持ちになれるからである。ちなみにわたしが彼の歌を最初に歌ったのは18歳のときで,場所は神奈川県の江ノ島にある岩本楼という旅館の舞台であったと記憶している。曲名は名曲「俵星玄蕃」で,それ以後この歌はわたしの愛唱歌となった。

 あの素晴らしい声は,彼の人生そのものであったと言うと大げさであろうか。浪曲師として出発し,歌謡曲に転向しても,独自の歌の境地を開いて観客を魅了した彼も,若い頃大変苦労をしたという話を聞いた。しかし,その苦労の積み重ねが,あの透きとおった声に表れているように思う。人が味わった苦労は無駄にはならない。人の目に触れない努力こそが,その人の値打ちを決めると思うからである。

 生徒も教師も,いや人間誰しも苦労を厭ってはいけないとよく言われる。楽な道と苦しい道があるときには,苦労の道を選ぶ方がよいという言葉を聞いたことがあるが,苦労が人間を作るから,このような言葉が生まれたのであろう。苦労は竹に例えれば,節ということになるだろうか。節ができてそこから新たな芽が吹き出すということを考えると,人生にとって苦労という節はなくてはならないもののような気がするのである。

 日本の国民的歌手と言われた三波春夫の栄光を支えたものは若い頃の苦労であったように思う。

2013年1月

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