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チュータのひとりごと

2001年6月アーカイブ

教務のひとりごと(27)

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 外国人講師

 リスニングの導入については,5月27日と6月3日の「教務のひとりごと」で述べたが,もう一つ英語科として早急にやらねばならないことがあった。それは外国人講師を採用することである。

 わたしは松山に帰ってから15年間英語をしゃべることはほとんどなかった。前任校であれだけ機会があったのに,松山ではあまりしゃべる必要がなくなってしまったからである。

 1991年から1992年にかけて,当時の教頭が英語科の教員であったこともあり,外国人講師の必要性を訴えると,学校長とも相談のうえ,採用してよいということになった。

 こうして1992年の4月から外国人講師の採用が決定し,適当な人物を探すことになったのだが,どのような外国人講師が松山に住んでいるのかわかろうはずがない。

 いろいろなルートを使って探しているときに,ある卒業生の母親から,「この人物なら間違いがない。」と紹介されたのが,本校最初の外国人講師,デイヴィッド・マクマリー先生であった。

 彼はカナダの出身で礼儀正しく,俳句に大変興味を持っている先生であった。授業中によく英語の俳句を生徒たちに作らせ発表させていた。また松山で英語の俳句の大会を開くなど,学校外でも積極的な活動をしていた。

 ところが,突然彼は大学の講師として迎えられることになり,次の外国人講師を探さねばならないことになった。

つづく

 

教務のひとりごと(26)

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教え子からのファックス
          

 「自ら考える」ということは,放任された状態の中では方向性がない。ある程度の枠が指定されて,その中で生徒たちが工夫を重ねることが学校教育における「自ら考える」ということではないかと思われる。

 大枠は決めてやらなければならないのである。ただしこの枠がどのように決められるかで,生徒たちの「自ら考える」姿勢にずいぶん大きな差が出てくるような気がする。すなわち生徒たち自身の,「自ら考える」部分があるように工夫されている学習指導や生活指導が望ましいということになるであろうか。

 どちらかというと与えることに主眼が置かれている日本の教育が少し変わることを必要とされる時代になったのである。

 「君たち頑張れよ。」だけではいけないし,かと言って,何から何まで与えてしまうのもよくない。ここをどのように工夫するか,教師それぞれの力量が問われることになるであろう。

 ところで,彼女たちは現在アメリカで,それぞれ雑誌編集の仕事と,バークリー音楽院の準教授をしているということであった。またこの準教授をしているMさんは「子規100年祭 in 松山」というイベントのための合唱曲の作曲をしていると聞いて驚いた。何とも不思議な縁である。

 ともかく自分の昔の教え子たちが,今華々しい活躍をしていると聞くことは,自分のこと以上に嬉しいものである。

教務のひとりごと(25)

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 教え子からのファックス
 
 先日アメリカからわたし宛にファックスが届いた。およそ25年前に英語を受け持った教え子からのものであった。

 驚いたことに,ニューヨークのアパートで愛光のホームページにアクセスし,25年前のことをなつかしく思い出して送ったというのである。

 実は,このファックスをくれた2名の女性は,2月の「教務のひとりごと」に合唱コンクールの思い出を書いたが,その時のOHP(オーバーヘッドプロジェクター)の係を担当してくれた生徒であった。

 彼女たちは合唱コンクールのことをもっと詳しく覚えていて,自分たちが制限された時間の中で,どれだけ苦労をしてOHPを操作したかという話を紹介してくれた。

 その苦労話とはこうである。

 各クラスの発表が終わり,全員合唱でコンクールのプログラムを終了することになった。その時,用意された全クラスのすべてのOHPのシートを順番に左右のスクリーンに映し出したのである。ところが全員合唱が終わる直前に最後のシートを映さねばならない。1枚のシートを何秒映すと最後のシートが合唱の時間内にうまく収まるのか,まさしく時間との勝負であったとのことである。またシートを入れ替える時,指がスクリーンに映らないようにするのも一苦労であったようだ。

 この全シートを映すという考えは,生徒たちの発案であった。それで,二人はこのことを鮮明に覚えていたのであろう。

 もしこれがわたしから出たものであれば,二人はこのように詳しくは記憶していなかったのではないだろうか。

 学年目標に,「自ら考える」という標語がよく用いられる。一方的に与えられたものよりも生徒たちの中から湧き出てくる知恵によるほうが,生徒の力になることは間違いないし,また記憶にも残りやすいことは誰にも容易に理解できることである。

 ただ上記の例で,もし合唱コンクールが行われなかったとしたら,またOHPを使用していなければ,全シートを映し出すなどということを,生徒が思いつくはずはないというのも事実である。

 ここに「自ら考える」のヒントがあるような気がする。                            

つづく

 

教務のひとりごと(24)

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英語リスニングとスピーキング(先週日曜日の続きです。)

 西村清先生の提案は,寮の学習室(中1,中2)の天井についているスピーカーから英語放送を流してはどうかというものであった。改めて寮務課と相談をし,舎監の協力も得られることとなった。そこで中1生と中2生は基礎英語を,また上級の学年はそれぞれに合ったラジオ放送を聞くことになった。

 中1と中2の寮の大部屋学習室では,学習時間の最初の15分間,NHKの基礎英語がシャワーのように流れる。

 わたしは現在中2の英語2を担当しているが,生徒たちの発音が10年前とは比べものにならないほどうまくなっているのに驚いている。

 大学入試のリスニングの問題は最近ますます難しくなり,配点も高くなっているようである。例えば東大の2次試験[個別学力検査]のリスニングの配点は,120点満点中30点あると言われている。 
 
 最近医学部でもリスニングを課す大学が増えてきた。センター試験でリスニングを課すのは施設面で難しいと思うので,これから多くの大学が2次試験にリスニングを課すことになると予想される。

 今や時代の要求で,英語はリスニングにとどまらず,スピーキングも重視されてきた。自分の意見を英語で述べることが要求されているのだ。英語が世界共通語になりつつあると思っているのはわたしだけではないと思う。

 現在オーラル・コミュニケーションA, B, C という科目があるが,新課程ではオーラル・コミュニケーションⅠ・Ⅱとなる。オーラル・コミュニケーションⅡでは,学習指導要領に「スピーチなどを聞き取り,自分の考えをまとめるなどの活動をする。」と規定してある。

 学校英語に発話能力が問われる時代がやっとやってきて,愛光の英語もリスニングを超えなければならない時期になった。たとえスピーキングが大学入試に導入されることがなくても,愛光はスピーキングの力をつける方策を考えねばならない時代になったのである。

2013年1月

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