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チュータのひとりごと

教務のひとりごと(34)

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 2次方程式 

 生徒と面談をする時に,生徒を励ますために自分の経験を話すことがあるが,そのうちの一つに,あまりにも強烈な思い出として残っているエピソードを紹介したい。

 わたしは小,中学校を松山沖にある興居島(ごごしま)で過ごした。学校は島内にあり,小学校は500名,中学校は350名ほどの生徒がいたが,今では過疎化が進み,中学校はわずか30名ほどになっているらしい。

 松山の高校に入学し,最初の数学の試験で,2次方程式が出題された。これにはとても驚いた。島の中学では2次方程式なるものは,耳にしたこともなかったし,xに答が二つあるとは,夢にも思わなかったからである。

 この時の数学の点数が37点であったことは,いまだに脳裏に焼き付いている。当時,「欠点」(赤点とも呼ばれていた)が40点であったので,まぎれもない「欠点」であり,落第点である。この時のショックで,数学の悪夢にうなされて目のさめることが,30歳くらいまで続いたのであるから,そのショックの大きさが,どの程度であるかが分かってもらえるだろう。

 この37点にびっくりして,とにかく猛烈に数学の勉強をした。日曜日以外は3時間~5時間くらいの睡眠で,毎日数学の問題を解きまくったのである。よくあのような睡眠時間で体がもったと今でも不思議に思っている。ただ,体育の時間に全力疾走をすると,吐き気を催すのには閉口したが。

 その時の数学の教科書はまだ大切に保存している。破れた箇所を補修するのに紙を貼り付けているが,その紙に「数学に勝つ」と書いてあり,当時の自分の気持ちがよく表れている。

 その後のテストでついにクラスの最高点を取ることができた。この時,やればできるという自信が身につき,それが今の自分を支えている。この37点がなかったら,現在の自分はないと言ってもよいであろう。従って,わたしにとっては,37点は燦然と輝く点数であると言ってよい。

 人生の中でこの時くらい必死で勉強をしたことはない。人間どこかで,ふんばらなくてはならない時期がある。その時期を逃してしまうと,改めてその機会がやってくることはないような気がする。

 高校時代はまさしくそのような時期ではないかと個人面談でよく話題にすると,生徒はうなずいてくれるのである。
 

2013年1月

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