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チュータのひとりごと

2001年11月アーカイブ

 信頼(先週のつづきです)

 ある時,A部長は塾(寮)の隣にある自宅にわたしを呼んで,塾(寮)で父母会を開くのでお菓子を用意するように言った。その時,「このようなお菓子がいいんではないか。」と言って,応接室のテーブルの上に置いてあった器の中から菓子を取り出した。後で分かったのであるが,レーズンウイッチという菓子であった。

 わたしはこの時,「このような」という言葉を即座に「この」と置き換えた。幸い,レーズンウイッチを包んでいる透明のビニールにK店の名前を見つけた。店は自由が丘にあることが分かり,わたしはこの菓子を買うため,東名高速道路を経由してこの店に出かけた。

 翌日,この菓子を持って,部長のところに行き,「お菓子が手に入りました!」と言うと,部長は驚きと喜びの表情を顔に表して,「うん。」とうなずいた。

 この時から,部長のわたしに対する態度は明らかに変化したように思う。

 部長が中学部を去り,高等部長になるとき,お別れの言葉の中で,わたしのことを一言誉めてくれた。これを聞いた年配の先生が,「わたしは長年A部長と一緒に仕事をしてきたが,部長が教員を誉めたことは一度もなかった。君はいったいどのようなことをしたのか。」と尋ねた。わたしは「多分お菓子でしょうね。」と答えたが,その先生はおそらく何のことかは理解できなかったであろう。

 わたしはこの時から,どのようにすれば人が心を動かすかを考えるようになった。

 あたり前のことをあたり前にやっていては,人の心を動かすことはできない。

 人の心を動かすためにどんなことをすべきか,日々奮闘努力する中に,教師の苦労や楽しみもあるのではなかろうかと述べて今回の「ひとりごと」を締めくくりたい。


 
寮生保護者連絡会(ドミニカンセンター)

寮生と一緒に寮の食事を取るご父母です。

寮の昼食の味はどうでしょうか?
 

 信頼(先週のつづきです)

 ある時,A部長は塾(寮)の隣にある自宅にわたしを呼んで,塾(寮)で父母会を開くのでお菓子を用意するように言った。その時,「このようなお菓子がいいんではないか。」と言って,応接室のテーブルの上に置いてあった器の中から菓子を取り出した。後で分かったのであるが,レーズンウイッチという菓子であった。

 わたしはこの時,「このような」という言葉を即座に「この」と置き換えた。幸い,レーズンウイッチを包んでいる透明のビニールにK店の名前を見つけた。店は自由が丘にあることが分かり,わたしはこの菓子を買うため,東名高速道路を経由してこの店に出かけた。

 翌日,この菓子を持って,部長のところに行き,「お菓子が手に入りました!」と言うと,部長は驚きと喜びの表情を顔に表して,「うん。」とうなずいた。

 この時から,部長のわたしに対する態度は明らかに変化したように思う。

 部長が中学部を去り,高等部長になるとき,お別れの言葉の中で,わたしのことを一言誉めてくれた。これを聞いた年配の先生が,「わたしは長年A部長と一緒に仕事をしてきたが,部長が教員を誉めたことは一度もなかった。君はいったいどのようなことをしたのか。」と尋ねた。わたしは「多分お菓子でしょうね。」と答えたが,その先生はおそらく何のことかは理解できなかったであろう。

 わたしはこの時から,どのようにすれば人が心を動かすかを考えるようになった。

 あたり前のことをあたり前にやっていては,人の心を動かすことはできない。

 人の心を動かすためにどんなことをすべきか,日々奮闘努力する中に,教師の苦労や楽しみもあるのではなかろうかと述べて今回の「ひとりごと」を締めくくりたい。
  信頼

 以前この教務日誌でふれた東京の私立中学に勤務していた頃のことについて,この中学校のA部長(校長)との思い出を紹介したい。

 A部長は生徒にはとてもやさしい先生であったが,教員には非常に厳しい先生であった。わたしは教師生活の中で,生徒指導のことで二度A部長から怒鳴られた経験がある。

 ところが,不思議なもので,怒鳴られても少しも不愉快にはならなかった。それは,内容が怒鳴られても仕方のないことであったからではない。わたしはA部長から注意を受けていると,経験の少ない自分が鍛えられているという気になったのである。

 おそらく,それはA部長の人格にわたしがほれ込んでいたからであろう。

 わたしは英語科の一員であると同時に,塾(寮)の舎監もしていた。A部長は中学部の責任者であるとともに,塾(寮)の責任者でもあった。毎朝,塾(寮)生の状況報告をするのがわたしの日課であった。部長室にわたしが入る時,部長に報告事項のある先生が何名かドアの外で待っていた。寮生の報告をしているときに部長の朝の気分が良好であるかどうかは,瞬時に分かった。

 わたしは部長室を出ると,待っている先生方に○か×のサインを送った。そのサインによって先生方は部長室に入室するのを遅らすかどうか決めた。

 部長は低血圧気味で,特に午前中,機嫌の悪いことが多かったのである。

つづく 
  挨拶

 これも興居島(ごごしま)での話である。

 どういう理由で始めたのかはよくわからないのだが,わたしは小学5年生から中学2年生まで,新聞配達と乳酸菌飲料の配達をしていた。家が理髪店だったので商売のことに多少の興味があったのかもしれない。

 毎朝(当時,休刊日はなかった),始発の船が朝6時に港に着くのを待って配達を始める。島内の二つの地域(由良,門田)がわたしの担当区域であった。最初は自転車で配達をしていたが,弟も配達をすることになり,一台しかない自転車を弟に譲ったため,わたしは徒歩で島内を駆け巡った。

 特に冬の寒い朝は,「こりゃー,たまらんなー。」と思いながらも,何とか4年間続けることができた。

 徒歩で新聞配達をすると,配達に時間を要するため,当然のことであるが,島民に出会う機会が多くなる。そうすると,お互いに朝の挨拶を交わすようになる。この挨拶が何とも言えないほど気持ちのよいものであった。

 また,朝の挨拶だけではなく,「小さいのにえらいのー。」とか,「挨拶ができて感心じゃのー。」と声をかけられると,ついうれしくなったものである。

 この4年間の朝の体験が,わたしの挨拶の習慣を形作ったように思われる。挨拶は自分の日常生活から自然に学んだものである。そして,声をかけることがどれだけ相手の心を和ませるかということも,この島での経験から学んだことである。

 声をかけられることを待っている生徒がいることを教師は忘れてはならない。

 タイミングよくかけられた声と,適切な言葉がどれだけ生徒の気持ちを救うことになるかということを頭で理解できていても,いざとなると,なかなかうまくいくものではない。しかし,声をかけているうちに,うまく生徒の心をつかめたと思う時が何度か出てくる。この経験を積み重ねることによって適切な時に適切な言葉をかけることができるようになるのである。

 それには生徒とじかに接触する機会が多ければ多いほど良いということは,言うまでもないことであろう。



 進学主任の一色康孝先生(理科)は17期の卒業です。

 
 「挨拶」と「昼休みチェック」 先週のつづきです。

 担任をしているとき,特にクラスの生徒の朝の挨拶を気にしていた。廊下で会ったときの声の調子がよいかどうかで生徒のそのときの状況が分かるからである。よく先輩の先生が,「朝のホームルームの時間に個々の生徒の顔をよく見て,生徒の体調や,精神状態を把握しなければならない。」と言っていたが,わたしは,このことについては未だに教師として自信がない。その代わりと言うわけではないが,わたしはできるだけ多くの生徒に声をかけることにした。直接声を聞いて生徒の様子を確かめたかったのである。しかし,1日に声をかけることのできる生徒の数は限られている。

 このとき,ひらめいたのが昼休みのノートチェックである。職員室でノートの点検をしていると,何となく味気ない。問題点があっても直接伝えるには時間がかかる。後で職員室に来るように伝えても,忘れることがある。昼休みのノートチェックは,これらを一気に解決してくれる上に,個々の生徒に声をかけることができるという素晴らしい利点があるではないかという考えが頭をよぎった。

 昼休みは昼食の時間であることは事実である。そんな時間まで利用して,ノートチェックをするのはどうかという意見もあるであろう。

 しかし,問題は,このノートチェックを生徒がどのように思うかである。

 昼休みの時間までさいてチェックする先生に対して,生徒は「そこまでされたら,提出をしなくては。」と思うのではなかろうか。このような教師のやる気を,冷めた目で見ながら通過していく生徒は,この学校にはいないとわたしは信じている。

 わたしの昼休みチェックは,「声をかけるにはどうしたらよいか。」という問題点を解決しようとすることから始まった。

 現在,数名の先生がこの昼休みチェックを行っているが,それぞれわたしとは,また違った意味と目的をもってやっているのであろう。力いっぱいの声援を送りたい。

 


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