「挨拶」と「昼休みチェック」 先週のつづきです。
担任をしているとき,特にクラスの生徒の朝の挨拶を気にしていた。廊下で会ったときの声の調子がよいかどうかで生徒のそのときの状況が分かるからである。よく先輩の先生が,「朝のホームルームの時間に個々の生徒の顔をよく見て,生徒の体調や,精神状態を把握しなければならない。」と言っていたが,わたしは,このことについては未だに教師として自信がない。その代わりと言うわけではないが,わたしはできるだけ多くの生徒に声をかけることにした。直接声を聞いて生徒の様子を確かめたかったのである。しかし,1日に声をかけることのできる生徒の数は限られている。
このとき,ひらめいたのが昼休みのノートチェックである。職員室でノートの点検をしていると,何となく味気ない。問題点があっても直接伝えるには時間がかかる。後で職員室に来るように伝えても,忘れることがある。昼休みのノートチェックは,これらを一気に解決してくれる上に,個々の生徒に声をかけることができるという素晴らしい利点があるではないかという考えが頭をよぎった。
昼休みは昼食の時間であることは事実である。そんな時間まで利用して,ノートチェックをするのはどうかという意見もあるであろう。
しかし,問題は,このノートチェックを生徒がどのように思うかである。
昼休みの時間までさいてチェックする先生に対して,生徒は「そこまでされたら,提出をしなくては。」と思うのではなかろうか。このような教師のやる気を,冷めた目で見ながら通過していく生徒は,この学校にはいないとわたしは信じている。
わたしの昼休みチェックは,「声をかけるにはどうしたらよいか。」という問題点を解決しようとすることから始まった。
現在,数名の先生がこの昼休みチェックを行っているが,それぞれわたしとは,また違った意味と目的をもってやっているのであろう。力いっぱいの声援を送りたい。
担任をしているとき,特にクラスの生徒の朝の挨拶を気にしていた。廊下で会ったときの声の調子がよいかどうかで生徒のそのときの状況が分かるからである。よく先輩の先生が,「朝のホームルームの時間に個々の生徒の顔をよく見て,生徒の体調や,精神状態を把握しなければならない。」と言っていたが,わたしは,このことについては未だに教師として自信がない。その代わりと言うわけではないが,わたしはできるだけ多くの生徒に声をかけることにした。直接声を聞いて生徒の様子を確かめたかったのである。しかし,1日に声をかけることのできる生徒の数は限られている。
このとき,ひらめいたのが昼休みのノートチェックである。職員室でノートの点検をしていると,何となく味気ない。問題点があっても直接伝えるには時間がかかる。後で職員室に来るように伝えても,忘れることがある。昼休みのノートチェックは,これらを一気に解決してくれる上に,個々の生徒に声をかけることができるという素晴らしい利点があるではないかという考えが頭をよぎった。
昼休みは昼食の時間であることは事実である。そんな時間まで利用して,ノートチェックをするのはどうかという意見もあるであろう。
しかし,問題は,このノートチェックを生徒がどのように思うかである。
昼休みの時間までさいてチェックする先生に対して,生徒は「そこまでされたら,提出をしなくては。」と思うのではなかろうか。このような教師のやる気を,冷めた目で見ながら通過していく生徒は,この学校にはいないとわたしは信じている。
わたしの昼休みチェックは,「声をかけるにはどうしたらよいか。」という問題点を解決しようとすることから始まった。
現在,数名の先生がこの昼休みチェックを行っているが,それぞれわたしとは,また違った意味と目的をもってやっているのであろう。力いっぱいの声援を送りたい。