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チュータのひとりごと

2001年: 2001年7月アーカイブ

教務のひとりごと(31)

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高3寮は今日は安息日で,生徒たちは学期末考査と補習で疲れた頭を休めています。友人の部屋で志望大学や入試のことなど,話が弾んでいるようです。

体育館で強化練習をしている卓球部の部員たちに集まってもらいました。夏は思いっきり練習に打ち込めるようです。顧問の鞍懸潤先生の指導にも熱が入ります。

  1学期最終の「教務のひとりごと」になるので,今までチュータ日誌に寄せられたご意見のいくつかを紹介したい。

 ご父母や教職員から「よくあんなに題材が見つかりますね。」と声をかけられることがある。わたし自身も不思議に思っているのだが,毎朝学校に来てみると,題材を思いつくのである。おかげで,報告する題材をあまり心配することなく,更新できていることを喜んでいる。

 中学12クラス,高校15クラスあって,毎日さまざまな活動が行われているのだから,題材がないというほうがおかしいのかもしれない。

 このチュータ日誌については,特に中学生のご父母から手紙やはがきをいただくことが多い。以下はその一部である。

 先生方の熱心なお姿と,学園のもつ温かい雰囲気に触れ,安心して息子をお任せして帰ってまいりました。以来,1週間あまりが過ぎましたが,予想通り(?)息子からは何の連絡もなく,どうしているのだろうかと日々心配が募っておりました。しかし,「愛光学園のホームページ」を開いてみますと,そこには,息子がいるであろうと思われる教室や寮の様子が映っていて,家族全員でくい入るように見てしまいました。(九州,中1母)

 先生が毎日更新してくださいますホームページを見ることは,子供と離れて暮らす私共にとりましては,何よりの楽しみになっています。 (中部,中2母) 

 在学生の父母は当然のこと,貴校への入学を希望する小学生を持つご父母の皆さんも毎日更新される「チュータ日誌」で愛光生たちの生き生きとした毎日の生活を見られることを楽しみにしていると思います。HP管理は,ご苦労が多いと存じます。ぜひ,毎日の更新を楽しみにしている父母のおりますことを先生にお知らせしたく,突然ですがお便りさせていただきました。(関東,中2父)

 教務日誌を毎日楽しんで拝見しております。子供からの連絡は,高1にもなりますとほとんどありませんので,ホームページを開くと,学校の様子がよくわかり,松山がとても近く感じられるようになりました。(中部,高1母)

 また参観日に廊下で,「日誌を見ると1日安心していられるんです。ぜひ,続けてください。」と言葉をかけられることが何度かあった。

 このように温かい便りや,激励の言葉をいただくと,ますます意欲が湧いてくる。おそらく,この日誌が何らかの形で人の役にたっていると思うことからくる充足感が,そう思わせるのであろう。わたしが休日に日誌を更新するために,勇んだ気持ちで学校へやってくるのは,ご父母や卒業生のこのような期待や感謝の気持ちのおかげであると述べて,1学期の「教務のひとりごと」を終えたい。

 教務日誌は7月27日(金)で1学期を終了いたします。なお,8月25日(土)に2学期の日誌を再開する予定です。

不思議な縁(42期生の卒業時に生徒会誌に寄稿した原稿を一部変えたものです。)

 宇宙がビッグバンによって誕生してから150億年,そして生物(細菌のような細胞核を持たない原核生物)誕生は38億年前,そして27億年前に真核生物(細胞分裂をする高等生物)が存在したという。気の遠くなるような年数を経て現在がある。そして今,この地球上で,日本という国名を持ち,愛媛県松山市衣山という地名のついた場所に約1,350名の愛光生が集っている。

 この地球上に存在しているだけでも奇跡と呼べるのに,世界60億の人間の中で,われわれが愛光学園で結ばれていることを,一体何と呼べばよいのであろうか。何とも不思議な縁である。わたしはいつもこの縁を大切にしなければならないと思っている。自分が一生の間に会話ができる人はそれほど多くはない。まして親しく話ができる人は本当に限られている。

 愛光の6年間,あるいは3年間で一生付き合える友人を得ることは何ものにも替えがたいことであろう。一生付き合える友を得れば,愛光に入った半分の目的を達成したと言ってもよいのではないかとさえ思う時がある。

 言うまでもなく,人は一人で生きていくことはできない。周りに喜びや悲しみを分かち合う仲間がいるからこそ,生きていけるのである。人は類としてこの世の中に生存してきたのではないかと思うことがよくある。つまり他の人のことを思いやり,他の人のために生きることが求められているような気がするのである。

 

 愛光を卒業していく生徒たちが,全員自分の希望する進路に進めることが教師や父母,そして本人の最高の喜びであることに間違いはない。しかし,現実には受験に失敗する人も出るであろうし,たとえ大学入試がうまくいったとしても,長い人生の中で,つまずくこともあるであろう。その時に思い出してもらいたい言葉がある。それは,「人の幸福は,その境遇にあるのではない。」という言葉である。幸福であるかどうかは,それぞれの心の持ち方によって決まる。だから,自らのものの見方を正して,毎日喜びのある生活を送ることが幸せな生活と言えるのではないか。

 幸せな生活はどこかからやってくるものではなく,自らが心と行いを正して努力した結果,手に入るものだと常に自分に言い聞かせている。しかし,時に心を曇らせることもあり,まだまだ人生は勉強の連続であると思って日々を過ごしている。
 
 

教務のひとりごと(29)

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 卒業生の結婚式

 わたしに面会を希望するご父母がお見えになっているという連絡を事務室からもらった。クラス担任ではないので,不思議に思いながら事務室の前まで行くと,清楚な感じの女の人が待っていた。

 どこかでお会いした記憶はあるのだが,よく思い出せない。

 話をしているうちに,○○期生のT君のお姉さんだということが分かった。

そういえば,T君の結婚式に招かれて広島に行ったときに式場でお目にかかったことを思いだした。

 来年ご子息が愛光を受験したいということで,学校と寮を見るために本校を訪れたとのことであった。応接室で学校や寮のことを説明した後,T君のその後の様子を尋ねた。幸せな家庭を築いていると聞いてうれしく思った。

 さて,卒業生の結婚式といえば,いろいろ思うことがある。

 わたしは可能な限り,卒業生の結婚式には出ているが,卒業生から結婚式に招待したいという知らせを受け取ると思わず心がはずむ。本人の中学時代や高校時代を知っていればいるほど,さまざまな思い出が浮かんでくる。そして彼がいったいどのような女性と一緒になるのだろうと,結婚式の当日まで楽しみにしている。式場で立派になった新郎と素晴らしい新婦を見て,感激して帰ってくるのが常である。

 卒業生の結婚式で媒酌人が新郎の経歴を紹介するときに,○○小学校を卒業し,「名門」愛光中学,高等学校を卒業して,○○大学に進学したとよく言う。○○大学医学部とか,有名大学を卒業していても「名門」とは言わないのに「名門」愛光・・・と紹介してくれる。自画自賛と言われてもしかたがないが,わたしはこの「名門」と言われることを素直に喜びたい。そしてその名門と言われる学校で教員をしていることを誇りに思う。そしてこの言葉を受けるにふさわしい充実した授業や生活指導をする情熱と意欲をますます高めていかねばならないと,気持ちが引き締まる。

 「進みてある教師のみ人を教うる権利あり」,わたしの座右の銘である。

 

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