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チュータのひとりごと

2002年2月アーカイブ

 卒業式(2)
 この当時の思い出として,午後4時頃になると職員室に残っている先生はほとんどいなかったということがある。生徒も授業が終わるとすぐに寮,下宿,あるいは自宅へ帰り,その日の学習に取りかかったようである。したがって4時過ぎに校内に残っている生徒はほとんどいなかった。教師も生徒も自分の学校における役割をしっかりと認識していて,お互いに干渉しないようにしているのではないかと思われるほどであった。言い換えれば,生徒の自立ができていたということになるのかもしれない。

 23期を送り出して,わたしは中3生を担当するつもりでいた。それは4年間,同じ学年を担当をすることによって,生徒に力をつけることができると信じていたからである。

 本校の英語教育は,中1と中2が基礎を学習する期間,中3と高1がセンター試験レベルの力を養成する期間,高2と高3が日本のどの大学の2次試験にも通用する英語力を身につける期間と,3段階に分かれている。わたしは本校で25年間,英語を担当した経験上,できれば第2段階と第3段階を同じ教員が担当するのが望ましいと思っている。

 英語科では,どの教員が担当しても,生徒に一定のレベルの力をつける工夫を重ねてきた。その結果,中1と中2では「PROGRESS IN ENGLISH」を,中3,高1は検定教科書を,高2,高3は担当教師が選択・作成したものを教材にする。そして中3以上は,単語,熟語,暗唱文の範囲を決めて,毎時間10分間の小テストを組み入れ,実力の定着を図ってきた。その成果は着実に上がってきているように思われる。

 このように考えていたので,23期の後,高2生(25期)を担任することになった時,驚くと同時に,どのようにして2年間で自分のペースに巻き込んで指導するかを考えた。この時,高2という段階で,新しく英語科担当として生徒を指導することが,いかに難しいかがよく分かった。

 わたしは,生徒たちとの人間関係が構築されて初めて「授業」が成立すると思っている。しかし,高2になってある程度人格が出来上がっている生徒と,先ずは人間関係を築き上げることから始めなければならないことが,わたしには難しかったのである。

つづく

    
 

教務のひとりごと(49)

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 卒業式(1)

 先日2月1日(金)に237名の高3生(44期)が卒業した。

 高3担任の先生方の1年間の苦労は,言葉では言い表せないほど大変なものであったろうと推察するが,卒業生が巣立った今,ほっとした気持ちと,寂しい気持ちが交錯しているに違いない。

 自分の場合,高3生を送り出した時の気持ちはどうであったか,わたしが担当した高3卒業生について思いつくまま述べてみようと思う。

 わたしが本校で高3生の担任をしたのは,23期生,25期生,29期生,33期生,35期生,42期生と6回である。

 23期生はわたしが本校に赴任した年に,中3の担任をした学年であった。当時は現在の寮の東側が採石場になっていたため,授業中にずいぶんと騒音に悩まされた。特に発破の音と振動が激しく,校舎が揺れることもよくあった。そういえば,中3生は校舎が揺れるたびに,なぜか拍手をしていたと記憶している。

 翌年高3生を担当することになったため,1年空いてしまったが,23期生が高2の時に再度担任になった。

 この23期生までは自宅生が寮生よりも多く,24期生から寮生が自宅生よりも多くなり,その形が現在まで続いている。

 教員の立場としては,当然,自宅生が多いほうが生活指導はしやすい。しかし,寮も教育の場であると考えると,これくらい素晴らしい教育の場はない。「真の教育は午後5時から朝の8時までの間に行われる。」と言う教育者もいるくらいであるから。

 幸い,最初の赴任校で22歳から4年間,英語科教員兼舎監という,寮生と共に過ごした貴重な経験を持っていたので,寮の指導という点では自信を持って積極的に取り組むことができた。

 今でもそうであるが,寮生活に対してのなつかしさのせいか,時に寮へ出かけるとなると,何となく心が弾むのである。

つづく

 ガイドブック(2) 

 ガイドブック作りの大変なところは,印刷の期間が最低2週間はかかるので,かなり早い時期から作成に取りかからなければならないことである。この「チュータブック」作成で,作品を作る楽しさを味わった。「わたしも努力するのだから,君たちもやれ!」といつもげきを飛ばしていたものである。厳しい指導をしたように思うが,生徒たちはみなよく努力をした。そして,何よりもうれしかったことは,予習をしてこない生徒がいなくなったことである。あまりに指導が厳しいので生徒から恨まれたこともあったようだ。それでも,卒業後その厳しさの意味が分かったという言葉を聞く喜びはひとしおである。

 今では教科書会社が,「チュータブック」とよく似たガイドブックを作成してくれるようになり,ずいぶんと楽になった反面,ものを作る喜びがなくなってしまった。

 高2になると担当教員が選んだ問題集を使用するので,ガイドブック作成の工夫はできるのだが,あまり手を取り足を取りでは過保護になるというので躊躇することもある。高2,高3になると,またもう一つ,ガイドブックに工夫を凝らさなければならないように思う。

 そのような思いを抱きながら42期を送り出したのが,つい昨日のことのように思える。しかし,一昨日の2月1日には44期卒業生が巣立ち,年月の経過するスピードに驚いている。

 

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