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チュータのひとりごと

2002年6月アーカイブ

教務のひとりごと(63)

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教え子(2)

 1学期の最初のころの話である。廊下を歩いていると,中学生がわたしのところにやってきて,「チュータ先生は以前にT学園で教師をしていたということですが,それは東京の町田市にあるT学園のことですか。」と尋ねた。

 「そのとおりだよ。」と返事をすると,その生徒は,「先生の教え子の中にYという苗字の生徒はいませんでしたか。」と聞いた。わたしは,それはもしかしたらY.MさんとY.Kさんという姉妹ではないかとフルネームで即答した。すると,その生徒は,わたしが即答したことに一瞬驚きの表情を見せながら,妹のY.Mさんが自分の母親であると紹介してくれた。

 この姉妹に前任校で英語を教えたのは30年以上も前の話である。わたしは,その姉妹の名前がフルネームで即座に口に出てきたことに驚いた。

 それにもまして,東京の学校で教えた生徒の子供を,この愛媛の地で教えることになるという巡り合わせは,前回の「教務のひとりごと」で紹介した同窓生の子供を教えるということとは,少し違う不思議なできごとである。

 余談であるが,その頃は塾(寮)の舎監も兼務していて,当然わたしは独身であった。どういうわけか,当時,独身の教員が何名かで,時折生徒の家庭に招待されて,ご馳走になったことが記憶にある。独身でお金がないということもあったが,学校全体が家庭的な雰囲気にあったのだろうと,懐かしく当時を思い出した。たしか,この姉妹の家にも一度何名かの教員が招待されて,出かけたことが,かすかな記憶の中にある。

教務のひとりごと(62)

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教え子(1)

 先週の「教務のひとりごと」で,中2の懇談会に出席したことを話したが,その席に,時々同窓会で出会う卒業生の顔があった。彼は,わたしが本校に赴任した時に担任をした中3b組(23期生)の隣の中3c組に在籍していたと記憶している。

 全体会の会場で,「あれっ,君のお子さんは中2生!」と声をかけたが,本当に驚いてしまった。自分の教え子の子供が入学していて,しかも英語という教科を担当している。不思議な巡り合わせだと思うと同時に,感謝の気持ちが湧いてきた。親が卒業した母校に子供をやりたいと思ってくれることは,学校にとって,また,教師にとって,とてもありがたいことである。自らが学んだ学校や指導を受けた教師を誇りに思えばこそ,子供を母校に送りたいという思いになるのであろう。

 また,親が自分が学んだ学校を誇りに思い,子供を母校に送ろうと思うことは,学校の歩んできた道が卒業生のご父母から一定の評価を受けていると確信してもよいのではないか。

 わたしが本校に赴任してから四半世紀が経過した。そして学校の歴史は半世紀という時を刻んできた。卒業生からはもちろんのこと,社会から高い評価を受け続けるには,そこに在籍する生徒と,教職員が心を合わせて努力を重ねなければならない。それが創立50周年の年に本校に在籍,在職しているものの務めではないかと思うのである。

 意志伝達

 今年も各地で地区別懇談会が行われている。

 先日,市内で行われた中2の懇談会に出席して,全体会で話す機会があった。話をするために立ち上がり,出席しているご父母の顔を見て驚いた。どのご父母の顔を見ても本当に若い。

 わたしが本校に赴任した時は,ちょうど30歳であった。以来教務の仕事につくまで22年間の中で,21回もクラス担任をさせてもらった。まだ若い頃(実は今でも若いと思っているのだが),ご父母と話をしたときに,何となく,話がこちらの思うように伝わらないような気がしたことがある。わたしは,これを自分の若さ,未熟さ,経験不足のせいにしていた。早くご父母よりも年長になり,一人前に物が言えるようになりたいと思ったものである。

 ところが,自分がある程度年齢を重ね,わたしよりも年上のご父母はほとんどいないようになった今,果たして話が自分の思うように伝わっているかというと,大きくは変わっていないように思える。確かに経験が増えた分,話す材料は増えたが,それだけのことである。

 生徒やご父母との面談や全体会で話をする時に,うまく話が伝わるのは,実は,どれだけ相手の気持ちを理解しているかということであって,年齢など大きな問題ではないのだと最近思うようになった。

 話す相手が何を期待しているのか,何をどのように伝えると,相手の目が輝くのか,教師が,いや話をする者が,常に心にとめておかねばならないことであろう。

 以前にも,「教務のひとりごと」の中で述べたことであるが,特に個人面談やその他で,生徒にかける言葉に,わたしは非常に気をつかう。生徒にかけた,たった一言の言葉が,良くも悪くも大きく変わるきっかけになりうるということは,教師を長く続けていると,誰でも経験することである。

 

教務のひとりごと(60)

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德永浩人君を偲んで

 わたしが住んでいるところは,学校から約2.5km離れた古三津である。毎日車で通勤しているが,朝は生徒の登校時刻よりもかなり早いし,帰りも生徒の下校時刻より遅いため,途中,めったに生徒に出会うことはない。

 4月下旬か,5月上旬のある朝,中央通りから,新田高校前の伊予鉄道の踏み切りへと通じている市道へ出たところで,本校の中1生が徒歩で学校に向かっている姿が目にとまった。徒歩でこの道を利用している生徒がいることを,それまでは全く知らなかった。

 早足で急いでいる様子だったので,車を停めて,「急いでいるのであれば,車に乗せてってあげるよ。」と声をかけた。その中1生は,わたしが愛光の教員だということに気付いたようであったが,「大丈夫です。」と答えて元気に道を歩き始めた。

その彼が德永君であったということは,クラス写真と通夜の席で眠っているような安らかな顔を見て,分かった。この世でたった一度しか,話す機会を持てなかった彼を前にして,わたしは手を握り,思わず「頑張れよ。」という言葉をかけてしまった。このような状況になって,何を頑張れと言うのか,と後で自問したが,「浩人は,愛光50期生,200名の守り神となって頑張ってくれると思います。」というお母様の言葉を聞いた時,「頑張れよ。」でよかったのだと思い直した。  

  

 事故の現場に行ってみて,あぜんとした。なぜこのようなところで,交通事故が起こるのかと思われる場所である。報道にもあったとおり,確かに三叉路ではある。しかし,道路が狭いため,車がスピードを出せるようなところではない。

 ガードレールが大きく曲がり,それを支えていた鉄柱とコンクリートのブロックが側溝に落ちていた。車は考えらないようなスピードで德永君を跳ね飛ばしたのだということを容易に想像させる事故の痕跡である。

 どのように,また,いくら考えても無念の思いはつきない。仲間を失った悔しさをわれわれは決して忘れることはないだろう。ただ,今となっては,浩人君が守り神となって愛光を見つめてくれることを願うばかりである。


教務のひとりごと(59)

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バレンタインデイ

 バレンタインデイに帰宅すると,「チョコレートが届いていますよ。」という妻の言葉に,郵便物を見ると確かにチョコレートである。前任校で,独身時代に女生徒から「義理チョコ」をもらったことは記憶の片隅にあったが,以来,家族以外の者からチョコレートのプレゼントをもらったことがなかったので,何かの間違いではないかと思って,おそるおそる郵便物の中身を引き出してみた。すると,チョコレートのほかに,目薬もあり,手紙が中に添えられていた。

 その手紙には次のように書かれていた。

 今日,2月14日は,世間でSt.バレンタインデーと呼ばれる1日です。

 中略

 愛光のホームページの更新には,たいへん感謝しております。

 離れて暮らしていると,息子の事が,時々,気にはなりますが,もうすぐ1年が過ぎようとしているこの頃になっては,息子からの連絡は,だんだんと減ってきたように思います。

 少しさびしい気持ちと,たくましくなってきたなと思う気持ちが入り混じって,複雑です。ですが,ホームページを毎日,見ることで,息子が写っていなくとも,その日の様子がよくわかり,家族でいつも話題にしています。

 毎日の忙しい業務もおありでしょうが,是非ともホームページの更新は続けてください。

 パソコンに向かっていると,目の方も,お疲れかと思い,愛用の目薬もあるかとは思いましたが,たまには,違ったものも,使ってみてください。どこか違う目薬に,何か,新しい発見があるかも(?)しれません。

 後略

 わたしはこの手紙を読んで,学校のホームページが少しは人のお役に立っているのだということを実感できた。それが何よりもうれしいことである。早速ホームページ委員長の八代昌平先生に報告をし,共に喜び合った。

 参観日などで,ご父母や同窓生から声をかけていただくたびに,どのようにして学校の近況を伝えるかということに,更なる工夫を加えていかなければならないと思うこの頃である。

 いただいたチョコレートで活力を得,目薬で疲れを取っていることを報告して感謝の言葉としたい。 

 
 

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