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チュータのひとりごと

2002年10月アーカイブ

 運転

「しまなみ海道ウォーキング」の時に,乗車定員8名の車に8人が乗ったのは初めての経験であった。ブレーキが少し利きにくい(制動距離が長くなる)ことを除けば,そう運転技術を変える必要はなさそうである。もちろん,ブレーキが利きにくいなどと言えば,乗車している教職員に不安を与えると思って,一言も触れなかったが。また,来島海峡大橋の上で,妙にハンドルを取られるように感じたのは,ただ単に風のせいだったのであろうか。38年間も運転をしていると,いろいろな経験をする。

思えば,わたしが運転免許を取得したのは,17歳(高校2年生)の時であった。もちろん当時は軽自動車免許である。

車を運転することが好きであったこともあるが,長期の休暇中にアルバイトをするためでもあった。ちなみに,現在,愛光生はアルバイトをすることを禁じられている。

長期休暇になると,松山市内のお菓子の材料を扱う会社でアルバイトをした。市内にある大小のお菓子メーカーに,車で材料を配達するのがわたしの仕事である。わたし専用の配送車を与えられていた。おかげで今でも,市内のお菓子を製造するメーカーの名前と場所が,記憶の中に残っている。

長期休暇中,毎日運転するのであるから,事故に遭う確率が高くなる。ちょっとした事故は,あったかもしれないが,忘れてしまった。しかし,「事故ゼロの日」に引き起こした事故については今でも鮮明に覚えている。

車はマツダの「ミゼット」という軽三輪車であった。いつものように,荷物を乗せて市内を運転している途中,伊予鉄「古町駅」近辺の市道の交差点で両者が徐行運転をしなかったために事故は起こった。
 
 相手の車も同じ三輪車であったため,衝突後,両方の車が横転した。わたしの車には,助手席にアルバイト先の社員が乗車していたのだが,左側を下にして横転したために,わたしが上に乗っかかる形になった。呆然としているわたしに向かって,「早くドアを開けろ」と指示が飛んだ。わたしは,それに応えて,ドアを上に向かって開けた。車のドアを上に向けて開けたのは,後にも先にも,この一度だけである。

つづく

 
 しまなみ海道ウォーキング(2)

先週,「しまなみ海道ウォーキング」の天候のことについて触れたが,この行事には,次のような出来事もあったので,付け加えて締めくくりとしたい。

この行事のために,3名の同窓生医師が事故に備えて本部に待機をしてくれていた。しかも,在校生のためにと,ボランティアでの参加であった。熱中症に備えて,点滴を用意していたとのことである。

万一に備えて救急車配備のシュミレーションも行われていた。

わたしの車が学校を出発したとき,空は晴れていたが,吉海町に近づくにつれて前方の空を黒雲が覆い始めた。ある程度予想していたとは言え,雨が避けられないことを覚悟しなければならなかった。

吉海町の「町民会館」に到着したときは,まだ曇りの状態ではあったが,昼食後,パラパラと雨が落ち始めた。「小雨決行」と決まってはいたが,雨が生徒にどのような影響を与えるのか,心配であった。

ハザードランプを点滅させて徐行をしながら,雨の中を歩いている生徒の様子を観察していたが,心配はないように見えた。こちらが心配するほどには,雨は生徒に影響を与えないのであろうか。そのような不安を抱きながら,徐行運転している時に,パトロールカーに呼び止められた。わたしの車が故障しているのではないかと思われたようである。理由を説明して巡回を続けた。生徒が全員,「吉海町民会館」を通過したことを確認した後,最終ゴールの「糸山公園」に向かった。

最終ウォーカーがゴールに到着したのは17時20分頃であった。最終ゴールの班員をチェックした後,事故者ゼロが報告された。

3人の同窓医師は,「降雨があったため,熱中症の生徒が出なかったのが幸運であった。」と強調した。雨の中を歩いた生徒や教師は,それなりに大変であったろうと想像できるが,この日は天の采配の妙を感じざるを得なかった。

しまなみ海道ウォーキング(1)

愛光創立50周年記念行事の一環として,9月27日(金)に,「しまなみ海道ウォーキング」の一大行事が実施された。

天候については,1週間前からインターネットの「ヤフー天気予報」と「ヤン坊マー坊天気予報」の情報をチェックし,変化する予報に一喜一憂しながら,当日を待った。

 前日の予報では,27日(金)当日の東予の午前中の降水確率が30%であったが,当日午前5時のピンポイント予報では,吉海町の降水量は1日中,ゼロであった。

あるとき,テレビ局の気象予報士が個人的な見解と断った上で,「降水確率が40%では雨が降らない。50%になると雨が降ることもあれば,降らないこともある。60%だと,雨が必ず降ると思ってよい。」とわたしに語ってくれたことがあった。

 東予地方の当日午後6時の降水確率は,60%であったように記憶しているが,生徒が歩く間は,雨が降ったとしてもあまり大したことはないであろうと判断した。(実際には天気のくずれが予報よりも早かったようである。)また,この日,注意報はまったく出されていなかった。

 当日のわたしの役目は,遅刻や欠席している生徒に連絡を取り,確認をした上,本部に連絡を取り,その後,7名の教職員を車で吉海町まで送ることであった。

 全校の行事であるため,出欠席の確認には結構時間がかかったが,連絡を終えて,9時過ぎに車で吉海町へ向かうことができた。

 吉海町に到着すると,次のわたしの仕事は,吉海町近辺の道路を巡回することであった。ハザードランプを点滅させながら,徐行をし,歩行している生徒の様子を観察していたが,黄色の紙を掲げて援助を求めたのは,わたしの巡回範囲では,一人のみであった。

 疲れた様子の生徒もいたが,どの顔を見ても,頑張ろうという意気込みを感じることができた。

 道中,グループの友人どうしで,どのような会話が交わされたかは,想像の域を出ないが,きっと一生の宝物になるような思い出ができたに違いない。このような思い出は教室の中では作りにくい。行事教育の持つ素晴らしさは,この思い出作りが比較的容易にできることである。それは,教室での学習が主に知性の教育であり,行事教育が「感動の教育」であるからであろう。

 全人教育とは,生徒たちを,「真,善,美,聖,健,富」が調和をした人間に育てることを言うようだが,行事教育は果たして,この六つのどれを鍛えることになるのであろうか。  
      つづく

教務のひとりごと(69)

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 地区別懇談会

 今年の県外の地区別懇談会(地区懇)は,沖縄と福岡がわたしの担当になった。沖縄は生まれて初めて訪問することもあり,到着の20分くらい前から愛用のデジタルカメラを持って撮影の準備をしていた。飛行機の中で,シートベルト着用サインが点灯しているときに,窓側の席に移動をして,カメラを構えたため,キャビンアテンダント(客室乗務員)から,それとなく注意を受けた。ホームページ用の写真を撮りたいという思いが強かったとは言え,少々恥ずかしい行動であったと反省している。

 到着して先ず出た言葉は,「こりゃー,何という暑さだ。」であった。ラスベガスの空港に降り立った時にも,同じ言葉を発したことが記憶にあるが,その時ほどではないにしても,とにかく暑いのに驚いた。

 すぐ「ハーバービューホテル」で会議に入り,会議の延長のような形で,懇親会が始まった。会議の時も,懇親会の時も,ご父母の学校に対する熱い思いが言葉で,また態度で伝わってくる。

 わたしは,クラス担任の立場で地区懇に出席したことは何度もあるが,担任を離れて出席し始めてからは回数が少ない。だから,学校の大きな流れは説明できても,個々の学年,個々の生徒のことになると,担任のようには,はっきりとは分からない部分が多い。従って,ご父母と話す時に,どうしても一般的な話になってしまう。

 どこの地区懇でも,懇親会の席で数名のご父母と親しく話をさせていただく機会がある。担任でない自分が何を話せばよいのか,とまどうが,話をしているうちに,あることに気がついた。それは,ご父母の寮や学校に対する様々な「思い」が,担任をしているときよりも,ストレートに伝わってくることである。

 親も教師も,寮や学校が少しでも良くなる方向に進むことを願っている。同じ思いの中で意見を率直に述べ合うのであるから,わたしも,失礼を顧みずストレートに意見を述べることにしている。

 そのような意見交換によって,ご父母が寮や学校に何を期待しているかを,肌で感じてくることが,地区懇における自分の役割ではないかと思われた。そして,その仕事を遂行するには,自分がしゃべるよりも,ご父母の話に耳を傾けて素直に聞くことのほうが重要であると考えるようになった。 


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