愛光学園

60周年特別企画ページはこちら

WWW を検索 愛光学園サイト内を検索

チュータのひとりごと

2003年1月アーカイブ

センター試験(1)

 今年の「大学入試センター試験」は,1月18日(土)と1月19日(日)の両日に実施された。現,高3の45期生は,このセンター試験の結果をもとに,2次試験を受ける大学を最終的に決定することになる。

 センター試験については,いくつか思い出があるので,今回はその一つを述べてみよう。

 英語の問題で,生徒たちが198点(200点満点)を取るケースはよくあるが,発音・アクセント問題を1問だけ間違った結果,上記の点数になったケースが妙に記憶に残っている。指導経験から言えることだが,発音問題やアクセント問題を苦手とする生徒はかなりいるようである。

 この発音・アクセント問題をどのようにして生徒の記憶に定着させるか,工夫をしたことをいくつか述べてみよう。

 同じ綴りで,名詞の場合と動詞の場合でアクセントの位置が異なる単語を,わたしは「名前動後温泉ルール」の単語と教えている。名詞の場合には,前にアクセントがあり,動詞の場合には,後ろにアクセントがあることと,愛媛の名所,道後温泉を引っ掛けていることは,すぐにお分かりいただけると思う。

 実は,今年の高3生のあるクラスに出向く機会があって,発音・アクセント問題について説明する中で,本校の中1,中2の使用教科書名である「プログレス」という単語は,この「名前動後温泉ルール」の単語であると言った記憶がある。この単語が今年のアクセント問題で名詞の形で出題された。名詞であるから前にアクセントがあることになり,prog・ressのoを強く発音する。ちなみに動詞ではpro・gressの e を強く発音する。

 現在わたしが担当している中2生にも,この単語がいつか出題されるから,記憶しておくようにと言ってきたが,これで中2生が4年後に受けるセンター試験には,この単語は出題されないことが確定してしまった。

  つづく

音楽の思い出(2)
       先週のつづきです。
 
 今でも金管楽器の演奏を聞くと,当時をなつかしく思い出す。しかし,自分が演奏に加わったのは中学時代だけで,結局,高校の部活動は以前の「教務のひとりごと」でも触れたが,放送部に所属することになった。

 この中学3年間のブラスバンド部での活動のおかげで,音楽を聴いたり,演奏したりすることで感動を味わうことができるようになれたような気がする。

 これまで心をうたれた曲はいくつもあるが,わたしが愛光に赴任したとき,校歌を聞いて感動したことが記憶にある。素晴らしいメロディーに心を揺さぶられるような気持ちになった。最初の何年か,なんとなく違和感を覚えていた校歌の歌詞も,今では自分の中で,メロディーと一体化した。本校の創立50周年記念式典で,最後に校歌を全員で3番まで歌ったが,1番の途中まで歌ったとき,思わず涙が出て,最後まで声を張り上げて歌うことができなかった。

 先日紹介したモンキーポッド(俗称:アメリカねむの木)のCMの曲も,感動が魂の奥底から湧き上がって来る魅力的な曲であるとわたしは思っている。そのモンキーポッドがハワイにあることは昨年まで知らなかった。この木の下に立った時,自然に「この木何の木,気になる木・・・」と口ずさんでいた。





 高3生は「大学入試センター試験」,二日目です。

  今日の試験時間割

 国語     10:00~11:20
 理科①    12:50~13:50
 理科②    14:40~15:40
 公民     16:30~17:30

音楽の思い出

 わたしが小学生の頃に,ピアノのある家庭はほとんどなかったのではないだろうか。少なくとも当時の興居島に住んでいる人たちの家庭には,1台もなかったと思う。

 小学校に入学したわたしの音楽の成績は,5段階の「2」であった。それは,歌は歌えるのだが,音符が読めなかったからである。両親がこの成績を嘆いていたのを未だに記憶しているので,当時の自分にとって,相当に印象深い出来事であったと言えよう。

 この「2」の評定がきっかけで,音楽に対するイメージが相当悪かったのであるが,曲を聴いたり,歌ったりするのはそれほど嫌いというわけではなかった。それは,小学6年生の時に新聞配達で得たお金で,ステレオを購入したことからも分かっていただけるであろう。

 中学に入学した時,担任の先生が女性の音楽の先生で,どういうわけか,ブラスバンド部に入部するよう言われた。音符が読めなかった自分がまさかブラスバンド部に所属するとは想像もしたことがなかったが,この担任のS先生のお蔭で,音楽と少しかかわりを持つことができるようになった。

 わたしが担当した楽器はアルトサクソフォンであった。当時の楽器であるから,まともな楽器はほとんどなかったが,このサクソフォンも例外ではなかった。タバコを吸う先生に息を吹き込んでもらったところ,閉じた弁のすべてから煙が漏れるので驚いたことをはっきり記憶している。それでも,部費がないので修理をせずに演奏していたのだから,いい音など出るわけがない。しかし,空気が漏れるおかげで,肺活量だけはかなり上昇し,当時,2分間くらい息を止めることは,造作ないことであった。

 演奏した曲目は,ほとんど行進曲であった。運動会に演奏するのが主な発表の場所で,開始から終了まで,行進曲はすべてわれわれのブラスバンドで担当した。音楽のS先生の誇らしげな顔を見て,われわれ部員もうれしくなり,一日中懸命に演奏した。

   つづく


2013年1月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

アーカイブ

All Rights Reserved Copyright AIKOU educational institution