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チュータのひとりごと

2003年4月アーカイブ

ホームページ(2)

 わたしが「チュータ日誌」を担当しているために,1年365日学校に出て来ているのではないかと心配してくれる人もいる。確かに更新するのは,その当日,しかも場所は学校の職員室である。できるだけその日の情報を伝えるようにしているが,出張や家庭の用事で,どうしても,休日に学校に出て来れないことがある。

 実を言うと,今年の1月から,二日間は学校に足を運んでいない。このような時には,写真と記事を前日に仕上げておいて,八代昌平先生に更新をお願いすることにしている。

 また,休暇中に,数日間学校に来れないことが分かっているときは,八代先生に「チュータ日誌」そのものをお任せすることもある。

 「教務のひとりごと」については,題材を見つけるのに一苦労するが,いったん題材が決まると,完成するのにそれほど時間はかからない。そして,この原稿は国語科の戸田健先生にチェックを受けている。

 先生方の協力でこの「チュータ日誌」や「教務のひとりごと」が成り立っていることが分かっていただけると思う。

なぜ,毎日続けるのかと問われることがよくある。今回,その質問の答えとなるかどうかは別として,一言述べておきたい。

信じてもらえないかもしれないが,自分が向き合っているコンピュータの画面の奥に,父母や同窓生の笑顔が見えるのである。そして,その笑顔が教務の仕事や,この日誌を続ける原動力となっているのであって,お礼を言わなければならないのは,わたしのほうかもしれない。

 世の中の仕組みが「助け合い」になっていることをつくづくと感じる。


ホームページ(1)

 先日,春休み中に本校のホームページのアクセスのトータルが50万を超えた。ホームページを構築することに情熱を燃やす教務OAの八代昌平先生と共に,創立50周年の年度内に50万のアクセスを超えたことを喜び合った。

 わたしは,ホームページの「チュータ日誌」と「教務のひとりごと」のみを担当しているのであって,全体のことは,八代昌平先生が一手に引き受けている。

 ホームページの役割は,当初われわれが考えていたものをはるかに超えていると思うようになった。

 各種行事報告,入試の応募状況や入試結果,教員の募集,父母への連絡など,果たす役割は大きい。本校のことをホームページで知り,受験をした生徒もいる。また,ホームページが本校の教員採用に応募した動機になった先生もいると聞いた。

 また,寮生の寮での様子,また,生徒たちの学校での様子が毎日報告されるので,子供のすぐ近くで暮らしているような気がして安心するという寮生のご父母の言葉を聞くたびに,ホームページの役割の大きさを感じる。

 今年度から芳野敬三教頭の提案で,寮の写真が寮務部の係から提供されることになった。これはとても素晴らしい試みであると思う。個人では足を運ぶ場所と時間が限定されるので,このように複数の教員が写真を撮ると,違った角度から寮を紹介できる。

 できれば部活動の写真もこのような形で提供を受けると良いと思うが,試合の最中に顧問が写真を撮影するのは難しい。何か良い解決策が出ることを期待している。

     つづく

  (1~4)佐藤雄一郎先生撮影

(11:25アップ)

慎みの精神

 4月8日(火)の午前10時から,愛光中学の入学式,そして,午後1時から愛光高校の入学式が行われた。

 寮生は前日に入寮し,すでに同じ釜の飯を食した。寮務部の先生が写した中1生たちの食事の写真を見ていたとき,自分の小学校時代の食生活のことを思い出したので触れてみたい。

 わたしの通学した小学校は興居島(ごごしま)にある由良(ゆら)小学校で,わたしの家は小学校から徒歩で10分くらいのところにあった。小学1年生のとき,その道を船で通勤してくる先生と一緒に登校したことを今でもよく覚えている。その登校途中で,担任の女性の先生が,(誰と話していたのかは,よく覚えていない。)わたしの身長が,ちょうど1メートルであると話していたことを記憶している。

 今でもわたしの背丈は低いのだが,小学校の頃から低かったようである。

 この原因のすべてが当時の食料事情によるとは言えないまでも,大いに関係があったと思っている。

 以前の「教務のひとりごと」でも触れたことであるが,当時の食べ物は今のようなごちそうではなかった。牛乳は病人の飲み物であり,バナナは子供の口に入るような果物ではなかった。肉もそれほど食べた記憶がない。祭りに大人たちが魚の刺身を食べているのに,「これは子供の食べ物ではない。」と,近所のおばさんから言われた言葉が妙に思い出されてならない。今,にぎり寿司が大好物なのは,この体験のせいかもしれない。

 当時のご馳走が「芋粥(いもがゆ)」であったと言えば,何を食べていたかは大体想像がつくのではないだろうか。

 ずっと以前,本校の中学で,昼食時に給食用のパックの牛乳を希望者に配付していたことがある。ところが,生徒の一人が面白半分で3階からこの牛乳パックを投げたのである。紙製の容器であったため,地面に当たるときに紙パックが裂けて牛乳が飛び散るのを面白がっていた。

 わたしはこれを見て本当に腹立たしく思い,終礼で厳しく注意したことがある。

 牛乳がもったいないと思ったのは当然であるが,自分が幼いときに,この牛乳を口にすることができなかった経験から,よけいに腹立たしく思えたのであろう。

 このときに,わたしは生徒たちに,いくら物が豊かになっても,慎みの精神を忘れてはならないと諭したように思う。

 寮生の食事にしても,家庭で食べる食事と比較すれば,確かに質的に劣るかもしれないが,昔の寮の食事と比べると,はるかにおいしくなっている。寮の食事に工夫の余地が残っているとすれば,どれだけ暖かい料理を提供できるかという一点だけではないだろうか。ただ,この問題についても寮は工夫を重ねてきた。このような様々な問題を解決するために続けてきた努力の結果が,現在の寮生活を支えていることを,寮に関係するすべての者が心の片隅においておかなければならないように思う。

 常により快適な寮生活ができるように,関係者が力を合わせることが必要であるのは言うまでもないことであるが,その一方で,慎みの心も忘れないようにしたいものである。


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