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チュータのひとりごと

教務のひとりごと(89) ・ 日曜日の寮(中1)

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慎みの精神

 4月8日(火)の午前10時から,愛光中学の入学式,そして,午後1時から愛光高校の入学式が行われた。

 寮生は前日に入寮し,すでに同じ釜の飯を食した。寮務部の先生が写した中1生たちの食事の写真を見ていたとき,自分の小学校時代の食生活のことを思い出したので触れてみたい。

 わたしの通学した小学校は興居島(ごごしま)にある由良(ゆら)小学校で,わたしの家は小学校から徒歩で10分くらいのところにあった。小学1年生のとき,その道を船で通勤してくる先生と一緒に登校したことを今でもよく覚えている。その登校途中で,担任の女性の先生が,(誰と話していたのかは,よく覚えていない。)わたしの身長が,ちょうど1メートルであると話していたことを記憶している。

 今でもわたしの背丈は低いのだが,小学校の頃から低かったようである。

 この原因のすべてが当時の食料事情によるとは言えないまでも,大いに関係があったと思っている。

 以前の「教務のひとりごと」でも触れたことであるが,当時の食べ物は今のようなごちそうではなかった。牛乳は病人の飲み物であり,バナナは子供の口に入るような果物ではなかった。肉もそれほど食べた記憶がない。祭りに大人たちが魚の刺身を食べているのに,「これは子供の食べ物ではない。」と,近所のおばさんから言われた言葉が妙に思い出されてならない。今,にぎり寿司が大好物なのは,この体験のせいかもしれない。

 当時のご馳走が「芋粥(いもがゆ)」であったと言えば,何を食べていたかは大体想像がつくのではないだろうか。

 ずっと以前,本校の中学で,昼食時に給食用のパックの牛乳を希望者に配付していたことがある。ところが,生徒の一人が面白半分で3階からこの牛乳パックを投げたのである。紙製の容器であったため,地面に当たるときに紙パックが裂けて牛乳が飛び散るのを面白がっていた。

 わたしはこれを見て本当に腹立たしく思い,終礼で厳しく注意したことがある。

 牛乳がもったいないと思ったのは当然であるが,自分が幼いときに,この牛乳を口にすることができなかった経験から,よけいに腹立たしく思えたのであろう。

 このときに,わたしは生徒たちに,いくら物が豊かになっても,慎みの精神を忘れてはならないと諭したように思う。

 寮生の食事にしても,家庭で食べる食事と比較すれば,確かに質的に劣るかもしれないが,昔の寮の食事と比べると,はるかにおいしくなっている。寮の食事に工夫の余地が残っているとすれば,どれだけ暖かい料理を提供できるかという一点だけではないだろうか。ただ,この問題についても寮は工夫を重ねてきた。このような様々な問題を解決するために続けてきた努力の結果が,現在の寮生活を支えていることを,寮に関係するすべての者が心の片隅においておかなければならないように思う。

 常により快適な寮生活ができるように,関係者が力を合わせることが必要であるのは言うまでもないことであるが,その一方で,慎みの心も忘れないようにしたいものである。


2013年1月

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