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チュータのひとりごと

2003年: 2003年5月アーカイブ

教務のひとりごと(94)

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わたしが東大に合格させた(?)たった一人の生徒(2)

 ある日,わたしは,彼が一橋大学に手続きをしたのだろうと思いながらも,何となく気になって電話をかけた。すると彼は慶応大学に手続きをして,下宿先も決めて帰ってきたということであった。

 もし彼が一橋大学に入学の手続きを終えていれば,東大の後期の受験資格を失うことになる。すなわち,前期で合格して手続きをすると,後期の試験を受けることはできないということである。前期と後期の両方を受験できるのではないということであり,これは今も変わっていない。

 彼が慶応大学に入学の手続きをし,一橋大学に手続きをしなかったことで,東大の後期の受験資格が残った。しかも,彼はセンター試験で高得点を取っていたために,第1段階選抜をクリアーして,東大後期受験の有資格者であった。(東大は前期の合格者発表と同時に,後期で受験できる生徒を発表することになっており,彼はその中に入っていたということである。)

 わたしは彼の話を聞いて,すぐに東大の受験をするように勧めた。ところが,彼は父親と上京し,すでに慶応大学の手続きを終え,下宿まで決めていたため,東大を受けるつもりはないとわたしに告げた。また,彼は,東大を受験するとなると,列車の予約やホテルの手配をしなければならないと言ったが,わたしは,列車の予約とホテルの予約はこちらでするから,何としても東大を受験するように説得した。
 
 この電話を切れば,それでおしまいだと思ってとにかくねばった。電話の近くに彼の父親がいたようである。どうやら電話の向こうで父親も東大受験を勧めてくれたようだ。

 ついに彼は受験を決意した。列車とホテルの手配は,父親がしてくれることになった。そして,急なことであったので,父親が付き添うことになった。
     つづく
わたしが東大に合格させた(?)たった一人の生徒

 6月の参観日に高1生のご父母対象に進路選択について教務から講話をさせていただくことになっている。進学主任の一色先生と教務主任のわたしとがこれに当たる。

 この席でわたしが必ず話をすることがある。それは,わたしがいなければ東大には行かなかった(?)であろう生徒の話である。

 現在の大学受験の解説にもなると思うので,少し詳しく述べてみたい。

 本校では,高校2年と3年の担任は持ち上がることに決まっている。従って生徒のクラスは変わらない。2年間,じっくり時間をかけて進路指導を行うのがその理由である。

 わたしの担任のクラスに所属していたN君は文系志望で,高2の頃から東大を目指して勉学に励んでいた。彼は学力的にも十分東大に合格できるだけの実力を身につけていた。ところが高3になって一橋大学に志望を変更したいという申し出があった。それは,東大の文系を受験するには,社会が2科目必要だったからである。

 高3になって面談を重ねる中で,志望を一橋大学と慶応大学に決めて,社会を1科目に絞ることにした。

 受験のシーズンに入り,彼は先ず慶応大学に合格した。そして前期試験で一橋大学に,後期試験で東大に受験の手続きをした。東大の後期では,社会を2科目履修している必要がなかったからである。

 前期試験で彼は,一橋大学に見事に合格した。わたしは,当然,彼は一橋に手続きをするのだろうと思っていた。

    つづく
不慮の事故からまもなく1年

 先日,本校に赴任された新人の先生方の歓迎会が市内のホテルで行われた。今年は予約の都合であろうか,4月の最終土曜日になってしまった。

 わたしは3ヵ月前から,この日を興居島中学,昭和36年度卒業の同窓会を行う日として予定を入れていたので,学校の歓迎会と重なったことで,困ったことになったと思っていた。

 ただ,同窓会の開始時刻が3時となっていたのが救いであった。

 当日,学校では午後に会議が入っていたために,会議終了後,開始時刻に間に合うようにタクシーで会場に向かった。一旦車で帰宅するには時間が足りなかった。

 定刻に何とか間に合って到着し,開会になった。わたしはこの日の司会を担当することになっていたので,遅れるわけにはいかなかったのである。

 同窓会が無事終了し,次に本校の歓迎会の会場へと向かった。たまたま,徒歩で5分くらいの場所に会場があったので,急いでそちらへ移り,開始時刻に間に合った。

 翌日,眠い目をこすりながら,ホームページの更新に学校へ向かおうと思い,外へ出て車を学校に置いてきたことに気がついた。そこで,天気も良いし,散歩がてら徒歩で学校まで行ってみることにした。

 中央通りと新田高校を結ぶ市道に出て思い出したことがある。それは,昨年度50期生の徳永浩人君が不慮の交通事故で亡くなってから,まもなく1年になるということである。この市道は,いつも彼が通学に利用した道路であった。

 彼が通った道を,歩いてみようと,踏切をわたり,すぐ左に曲がった。彼のご両親が,安全のためにと選んだコースである。事故現場には「お地蔵さん」が作られており,花が供えられていた。合掌してしばらく前に立ち,心で会話をしてその場を去った。50メートルほど行ったところで,「中村さんではありませんか。」と町内の清掃奉仕をしている女性から声をかけられた。初めは相手の女性が誰だか分からなかったが,話を聞いているうちに,前日に同窓会をした友人のお姉さんであることが分かった。その方は,浩人君のことをよく覚えていて,「にこにこして,毎日元気にこの道を通学していたのにねえ。」としみじみ話してくれた。しばらく立ち話をして,30メートルほど行ったところで,車のキーを持っていないことに気が付いた。県道に出て,急いで家まで帰り,もう一度,事故現場の前を通って手を合わせ,学校に向かった。

 この日のホームページの「教務のひとりごと」には,ホームページ(2)と,高3生の「学研模試」,本校のグラウンドで行われていた「愛媛県中予地区サッカー大会」における愛光サッカー部の初戦での奮闘ぶりが,写真で掲載された。

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