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チュータのひとりごと

2005年11月アーカイブ

入試説明会と在校生のご父母(3)

わたしは,何かをやめるように勧めたのではなくて,「子どもの精神的支えになるには,何をすればよいのだろうか。」と考えてみることも必要ではないかと申し上げたのだと答えると,「分かりました。何か考えてみます。」という返事であった。その後,具体的な事実については教えてくれなかったが,何かを実行したと聞いた。院長の子どもは現役で京都大学の医学部に合格した。

また,寮生の母親がそれまで電話でのみ連絡を取っていたのをやめて,これからは,手紙を書こうと決めたということも聞いている。

この三者に共通することは,一つの「思い」を持って,ある行為が行われているということである。

つまり,目には見えない「心遣い」がある。その目に見えない「心遣い」が,目に見えない人の心を動かすのではないだろうか。人の心が動くと目に見えるものが動いてくる。子どもの「やる気」は心の動きから起こるものであって,人の心は人の心でないと動かせないものではないだろうか。

目に見えない「心遣い」が,最終的に目に見えるものを動かすのだということを意識して,子どもの精神的支えになることができるのは,保護者しかいない。それぞれの立場で,子どものサポートをしっかりすることが,子どもの教育にとって大切であり,それは,入学後も変わらないことであろうと思う。

以上が入試説明会で述べたことであるが,この「体育大会の日に,子どもと一緒にお弁当を食べることが,待ち遠しくてたまりませんでした。」と述べた母親は,まさしく素晴らしい「親の心遣い」ができているのだと実感した。

入試説明会と在校生のご父母(2)

また,これも「教務のひとりごと」で触れたことであるが,わたしがPCのディスプレイと毎日向き合うため,目が疲労するのではないかと気遣ってくださり,目薬とチョコレートを送ってくれたご父母がおられることも分かった。

特に,スプーンを取ってくれたご父母にお会いするのは,これが初めてであったので,どのような方だろうかとお会いするのを楽しみにしていた。

説明会が終わり,話をする機会があった。

想像していた通り,大変細やかな心遣いをされるお母様で,思いやりのある心の優しい子どもが育つ理由が分かった。

そのお母様が会話の中で,次のように述べた。

「わたしは,学校のさまざまな行事を大変楽しみにしています。先日行われた体育大会の日には,夜中に起きて弁当をつくり,学校に出かけました。子どもと一緒にお弁当を食べることが,待ち遠しくてたまりませんでした。」

この言葉を聞いたとき,わたしは,今までの生徒に対する自分の態度が,一瞬のうちに色あせたものになってしまったような気がした。

このお母様のように,心を込めて,生徒に接したことが自分の教師生活でどれほどあったのだろうかと思いつつ,記憶の中をどんどんさかのぼってみた。

特に,最近,担任業務についていないこともあって,遡及の流れがなかなか止まらないことに焦りのようなものを感じたが,結局,「親の子を思う気持ちにはかなわない。」という思いが頭の中に浮かんで流れは止まった。

実は,この日の入試説明会の最後に,「親にできること」という項目で話をした。その内容は次のようなものであった。

東大医学部に入学した生徒の母親が,「わたしは子どもが勉強をしている間,テレビの娯楽番組を見ることをやめました。」とある会議の席で述べた。

この話を,父母懇談会の席でわたしが話したところ,会が終わってから,総合病院の院長であった父親がやってきて,「わたしは酒が好きなのですが,これをやめることはどうしてもできません。」と言った。

つづく

入試説明会と在校生のご父母(1)

 11月5日(土)に「愛光学園学校説明会」を本校で開催した。

約900名の生徒と保護者の参加があり,午前中に授業参観,寮案内,午後は中学と高校に分かれて,教育課程や入学試験について説明が行われた。

この学校説明会のほかに,行事予定表にも記入されている地域で「入試説明会」を実施している。総務が中心となって,各地域に出向き,学校の教育方針,寮の説明,入学試験などに関する説明を行う。

今年度わたし自身の仕事として,3箇所の地域で説明会を行った。愛光の詳細な情報に初めて触れる入学希望者とそのご父母にお会いできることは,大きな楽しみの一つであるが,実はもう一つ大きな楽しみがある。

それは,本校の入試説明会には,各地域出身のご父母が世話係として手伝ってくださるため,そのご父母といろいろな話ができることである。

わたしが今年度出向く地域の一つに,中1宿泊研修の折に,「スプーン」をわたしに取ってくれた生徒のご両親がいらっしゃることが分かった。これは,以前,「チュータのひとりごと」(第169回)で触れたことがあるが,ここで,その出来事をもう一度振り返ってみよう。

― 2日目の昼食時に生徒たちの列の中に入り,バイキング形式の料理からいろいろ選び,最後にカレーを食べてみようと思って,カレーのコーナーに行き,自分のトレイに乗せた。

生徒が食事をしているテーブルに空いている席を見つけて,そこに腰を下ろした。

横に座っている寮生と話を交わしながら,さあ食べようとトレイに目を向けると,カレー用のスプーンがない。

「しまった。スプーンを取り忘れた。」という言葉が何気なく口から出てしまった。

その時,わたしと会話をしていた寮生の一人が,「先生,ぼく,取ってきます。」と言って素早く立ち上がり,スプーンを置いている場所に取りに行き,わたしのところまで持ってきてくれた。その行動は素早く,いかにも自然な振る舞いであったことに驚かされた。

このような態度は,おそらく彼の家庭で育まれたものだろうと思って,「お父さんやお母さんのおかげで,君のような思いやりのある子供が育ったんだろうね。」と言うと,彼は満面に笑みを浮かべていた。―

チュータのひとりごと(第169回) 抜粋

  つづく
二大行事と「絆」

 年間の二大行事である「文化祭」と「体育大会」が,それぞれ9月11日(日)と9月13日(火)に行われた。

文化祭では,天気予報が「雨」ということで心配をしたが,少し雨がぱらつきはしたものの,ほとんど影響がなかったのは幸いだった。

体育大会は,晴天ではあったが,残暑が厳しかったので,好天と言えるものではなかった。

行事は,ただ楽しみのためにあるのではない。教育の中で扱われる以上,行事は「行事教育」でなければならないとわたしは常々思っている。

それでは行事教育を通して,生徒の心に何が起こるのかということになるが,それは「感動」というものであろう。

教室の授業でも「感動の教育」ができないわけではないが,毎日の繰り返しが多い教科授業では,そうたやすくできることではない。

ところが,文化祭や体育大会は,生徒たちの感動を引き起こす場面をふんだんに設定しているため,容易に生徒の心に感動を与えうるのである。

この感動の原点は,「個」ではなく,クラスとかグループとかの「群れ」で一つの目標に向かって進むことではないかとわたしは思っている。

文化祭では,「絆」,そして体育大会では「ターニングポイント」というテーマが設定されていたが,ここにも「群れ」となって生徒たちがテーマに向かって突き進むという構図が見て取れる。

それでは,このような感動の教育から何が生まれるのかというと,くしくも,生徒たちが今年の文化祭のテーマとして設定した「絆」が生まれるのである。生徒と生徒の触れ合いから生まれる「生徒と生徒の絆」,生徒と教師の触れ合いから生まれる「生徒と教師の絆」,この絆が深まることに,行事教育,つまり感動の教育の意味があるというと言い過ぎであろうか。

今年の文化祭,また体育大会の様々な場面で,「生徒と生徒の絆」と「生徒と教師の絆」が深まったであろうことは,容易に推測できるし,現実にそうであったとわたしには思われる。

特に生徒と教師の絆は,生徒と教師の触れ合いなくして生まれるはずがない。どのように生徒とかかわりを持つかということは,難しい問題かもしれないが,行事教育の中では,「触れ合いなくして絆は生まれない。」のである。

おわり

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