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チュータのひとりごと

2007年9月アーカイブ

第55回体育大会(1) テーマ「人間力」

 文化祭と体育大会は,多くのご父母に来校していただけるよう, できるだけ土曜日あるいは休日に実施することにしている。

 今年も行事予定の段階で,文化祭を土曜日に,体育大会を「敬老の日」に設定していた。

 文化祭は雨が心配されたが,当日は晴れて,申し分のない天候であった。 ありがたいことだと天気に感謝をした。

 文化祭の翌日は後片付けの日になっており,文化祭実行委員は片づけがスムーズに運ぶよう, 雨が降らないことを望んでいた。文化祭のフィナーレを終えて,学校の玄関を出ようとしたときに,高2の文化祭実行委員の一人が, わたしに,「先生,明日もお願いしますよ。」と言った。わたしには何のことを話しているのかよく分からなかったが,その後の言葉で, 翌日の後片付けの日も雨が降らないようにしてほしいという意味であることが分かった。実は,今年6月に高2生の修学旅行を引率した際, 学年主任が,わたしが「晴れ男」であると紹介していたのである。確かに今年の修学旅行は天候に恵まれていたので, このような言葉が生徒の口から出たのであろう。

天候を何とかしてほしいという生徒の強い願いを聞き入れることができれば良いのだが,これは無茶な話である。 しかし,わたしはそのとき真面目な気持ちで,「そうだなあ,天気に頼んでみようか。」と思い,玄関を出たところで夜空に向かって, 「明日もお願いしますよ。」と声に出して願ってみた。

翌日は雨が降ったり止んだりする天候であったが,大きな片付けの間は,雨は降っていなかったようである。 しかし,片付けと同時に行われる体育大会の準備は,前日から降った雨のためグラウンドが池のようになっており, テントや椅子の準備ができるような状態ではなかったので,結局1日延期することに決めた。(この延期の件では, ご父母の皆様にご迷惑をおかけし,大変申し訳なく思っています。)

つづく
文化祭

7月の補習期間中であったと記憶しているが,文化祭実行委員の一人がわたしのところにやってきて, 今年度の文化祭のテーマが「扉」に決定したことを報告してくれた。彼は,テーマを告げるとすぐに,パンフレットの「挨拶」 を書いてほしいと言った。「締切りはいつですか。」と尋ねると,間髪を入れずに「明日です。」という答えが返ってきた。 わたしは,「えっ,明日ですか。」と思わず問い返してしまった。

 原稿を書くのにわずか1日しか猶予がないというのは厳しいと思ったが,生徒が帰ってから考え直した。 生徒にしてみれば,本校の教員であれば,これくらいのことは1日でやってくれるのではないか, それを期待して依頼しにきたのだと思い直したのである。

 そこで,すぐに原稿を書き始め,その日のうちに書き上げたのが,パンフレットの文章である。

原稿は完成したが,一つ気がかりなことがあった。それは,文化祭実行委員会の「思い」 と相容れない部分がありはしないかということであった。翌日,実行委員に原稿を手渡し,実行委員会の「思い」を確かめてみた。

「思い」にずれはないということで,掲載されたのが以下の文章である。

 



文化祭実行委員会から,今年の文化祭のテーマが「扉」と決定したことを聞いて, すぐに頭に浮かんだことがある。それは,扉を閉じて新しい世界に向かうか,扉を開いて未知の世界に向かうか, その選択を迫られるということである。

「扉を閉じて新しい世界に向かう」ということは,今までの伝統や慣習を大切にし,守りの姿勢を保ち, 安定感を求めることである。

「扉を開いて未知の世界に向かう」ということは,攻めの姿勢を表に出し, 安定感よりも躍動感に重きを置くことである。

わたしは現在の愛光学園に必要とされるのは,「扉」を開いて, 未知の世界にチャレンジすることであると考えている。50年の歴史を大切にしながらも,扉を開いて躍動感あふれる進歩がなければ, 学校全体が閉塞感に陥ってしまうような気がするのである。

生徒の皆さんと一緒に,扉を開いて新しい進歩の道を歩みたいという思いで,文化祭に臨みたい。
第2学期始業式(2)

これら六つの理想を漢字1文字で並べると,真,善,美,聖,健,富となります。 この六つの分野が調和した人間を全人つまり教養人と呼ぶのですが,愛光の世界的教養人というのは,この六つの分野が調和している上に, 学問の分野と道徳の分野でさらに,一段と秀でた人間であるということになるでしょうか。

 

このことは,われらの信条の冒頭の文に明確に記されているのです。

「われらは世界的教養人としての深い知性と,高い徳性を磨かんとする学徒の集まりである。」

つまり,深い知性すなわち学問の分野と,高い徳性, すなわち道徳や宗教の分野でさらに一段と秀でた世界的教養人を目指す,これこそが,愛光のvision, 幻ではないかとわたしは考えています。

 

さて,50期高3生の皆さん,皆さんは今の自分たちのことを幸運だと考えたことはありますか。

たとえば,この地球上に60数億の人たちが暮らしていますが,皆さんは何の気兼ねもなく, 学問に打ち込むことができる環境に恵まれています。しかも,素晴らしい学年の先生方に囲まれていること, 男女共学1期生であること,6年間あるいは3年間を愛光で過ごし, 現在こうして高3生として在籍しているということ,すべて幸運なことと言えるのです。そのような君たちが, 入試で合格という幸運を味わえないわけがないという確信をぜひ持っていただきたい。

その確信こそが合格を呼び込んでくるのです。 織田学年主任を中心とする高3担当の先生方と50期生がチームとして団結し,志望大学に合格してくれることを期待しています。

 

また高2以下の皆さん,

No dream, the people perish.

自分の夢を持ち,その夢の実現に向かって突き進んでくれることを期待して2学期始業式の挨拶とします。
「チュータのひとりごと」を再開することにしました。できるだけ1週間に1度,日曜日にアップロードできるよう,ベストをつくします。

 

第2学期始業式(1)

2学期の始業式でわたしは全校生徒に次の言葉を紹介しました。

No vision, the people perish. 「幻なければ民滅ぶ」

これは,旧訳聖書の箴言集,第29章18節の文章です。そして次のように話を進めました。 (一部補完しています。 )

 

愛光生にとっての幻とは何でしょうか。

愛光生にとっての幻とは,初代校長田中忠夫先生が一晩で書き上げたと言われている,「われらの信条」 の中に記されている「世界的教養人」であります。

皆さんの立場から言えば,「世界的教養人」に近づくこと,われわれ教師の立場から言えば,「世界的教養人」 を育成することが,愛光にとっての幻,visionだと思います。

 

No vision, the people perish. この言葉は旧訳聖書の箴言集の一文です。幻というと誤解があるかも知れませんが,この場合は, 初代校長田中忠夫先生の口を通して,われわれに神が与えたもの,それが愛光生にとっての幻「世界的教養人」だと思うのです。

 

それでは教養人とはどのような人間のことを指すのでしょうか。

人間の文化について,全人教育の提唱者,小原國芳は次のように述べています。(自分なりにまとめたものです。 )

「人間の文化には六つの分野があります。

学問の分野,道徳の分野,そして3番目は芸術,4番目の分野は宗教,そして5番目が身体の分野, 最後6番目が生活の分野です。

一番目の学問の分野の理想は真理の探究すなわち,真であり,2番目の道徳の理想は善きこと, つまり善であります。そして3番目の芸術の分野の理想は美しいこと,つまり美であります。宗教の理想は,清らかで聖なること, すなわち聖であります。そして,身体の理想は健康であること,つまり健であります。最後の生活の理想は豊かであること, つまり富裕であること,富ということになります。」

つづく

2013年1月

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