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チュータのひとりごと

2008年3月アーカイブ

 卒寮式の挨拶を掲載いたします。

高3寮生の皆さん,卒寮おめでとうございます。

「同じ釜の飯を食う。」これが寮生活の最高の経験だとわたしは考えています。

わたしは,東京町田の玉川学園に英語科の教員として赴任しましたが,同時に,塾舎監を兼務しました。 塾舎監は,愛光では寮の舎監にあたります。その後4年間,生徒と一緒に寮生活を送りながら,昼だけではなく, 夜も学習指導や生活指導を行うという文字通り24時間,生徒と共同の生活をおくりました。また,寮生と一緒に,豚や羊の飼育, 畑の開墾など,現在では到底考えられないような貴重な体験をしました。この経験が今のわたしの教育理念の一つ,「師弟同行」 の原点になっていると言っても過言ではありません。

この寮生活で,毎日,生徒と朝食や夕食を共にしたのでありますが, 食事を共にしながら生徒と語り合うことの素晴らしさを味わったと考えています。

わたしが中1のクラス担任をしたときの思い出,「一杯のみそラーメン」の話をしたいと思います。

これは「チュータのひとりごと(第4回)」に掲載している文章をそのまま紹介するものです。

 

中学の担任をしていた頃の話である。ある日,担当学年の生徒の一人が横にやってきて,「先生, 相談があるんです。」と少し心配そうな顔をして言った。「よし,今度ラーメンを食べに行こう。」と言うと, きょとんとした顔をしている。「なんだ,ラーメンは嫌いか。」と言うと,「いえ,そんなことはありません。」ということで,土曜日に, いっしょにラーメン屋に行くことにした。

約束通り,土曜日の午後,車に乗せて,ラーメンのおいしい店へ連れていった。 わたしが大好きなみそラーメンを注文すると,彼も同じ品を注文した。

彼は,車に乗ったときから,故郷や,家族の話などをしていたが,店に入っても,別に彼の「相談」はない。 店の中でも,学校での面白い話や,楽しい話が続いた。結局,ラーメンがおいしかったということで,彼との話は終わった。

その後,彼の表情から心配そうな様子は,全く消えてしまった。ラーメン店では, 世間ばなし以外の話は何もしなかったのにである。ただ一杯のみそラーメンを食べたに過ぎない。 まるでみそラーメンに心配事を解決してもらったようなものである。

高校の卒業式の日,高Ⅲの担任の先生から,「職員室に挨拶にいきましたが,不在でしたので, お世話になったと伝えてください。」という,彼の伝言を受け取った。

という話です。

 

彼は東大の理系を卒業したのですが,その後司法試験に合格して, 現在元気にやっているという電話が先日ありました。

もし,わたしが寮生活で生徒と共に食事をするという経験をしていなかったら, 生徒を食事に連れ出すということは思いつかなかったでしょう。「同じ釜の飯を食う。」ことから得たヒントを応用したのが, この出来事でした。

皆さんが,これから,人生経験を積んで,人を指導する立場になったときに,ぜひ, 同僚や部下と食事を共にしながら,話をしてみるとよいと思います。必ず良い結果が出てくることでしょう。また,わたしは, 生徒や子どもを温泉に連れて行って,背中を流した経験も幾度かあります。背中を流してもらって心を動かさない人間はいません。 皆さんが将来結婚し,子育てをする中で,時に試してみてください。親子の間の信頼が必ず生まれると,これは,断言しておきます。

中学・高校で,寮生活を体験できたこと,これを宝として,自分の人生に生かしてもらいたい, 生かしてこそ寮生活の意味があったのだと申し上げて,卒寮式の挨拶といたします。

 

お知らせ 今年度の「チュータのひとりごと」 は今回で終了です。来年度は4月13日(日)から開始いたします。
昨日の愛光高等学校第50回卒業式の式辞を掲載します。1回で掲載するため長くなりますので, 最初と最後の挨拶の部分を省略いたします。

 式辞

 五十期生は,本学園が男女共学化した年の,中一生として入学した,文字通り,男女共学第一期生であります。 中学の入学式で皆さんの様子をあの司会席の脇で,なぜかあふれ出る涙でファインダーの中がよく見えないまま, 震える手でシャッターボタンを押したことが,今でもわたしの脳裏に,はっきりとした光景として焼きついています。

あれから六年,途中高校で新しき友を迎え,男女共学化した最初の学年として,学園の期待を一身に担い, 織田学年主任を中心とする高三学年部の指導のもと,立派に育ってくれました。皆さんが積み重ねてきた努力に対して,心より「卒業おめでとう。 良く頑張りました。」と申し上げます。この言葉と気持ち以上に付け加えるべきことはないのですが, 皆さんの新しい人生の門出を祝う記念の日でありますので,日頃感じることを述べ,皆さんを送る激励の言葉にしたいと思います。

わたしは学校説明会や入試説明会で,「人間は他人のために存在する。」というアインシュタインの言葉をよく引用します。 アインシュタインはこの言葉を「The World as I see it」 (わが世界観)の中で述べているのですが,この「人間は他人のために存在する。」という部分は,実は, 日本語訳として大学入試に出題しても良いくらいの英文の一部なのです。原文を紹介したいのですが,少し長い英文であるため,ここでは, できるだけ簡潔な日本語訳として紹介してみましょう。「われわれは,同胞のために存在している。先ず,その笑顔や幸せが, 自分の幸福につながる人たちのために。そして,次に,その運命が共感という絆で結ばれているすべての見知らぬ人たちのために。」

この最初の部分は,英語では「We exist for our fellow-men.」 と述べられており,この部分が「人間は他人のために存在する。」と訳されているのです。その後(あと)の英文は関係代名詞whoseが用いられているために日本語訳が難しくなっています。

日本語訳の問題はともかく,人を思いやるよりも,人に思いをくれという人間が多くなってきた現代において, このアインシュタインの言葉は非常に大切なものだとわたしは考えています。そして, 初代校長田中忠夫先生が雪の降る夜に一晩で書きあげたと言われている本校の建学の理念とも言うべき,あの「われらの信条」にも, 同じ意味の言葉が述べられています。それは「愛と光の使徒たらんこと!これがわれらの信条である。」という「われらの信条」 の最後に述べられている言葉です。

愛と光とはキリストの言う愛と光のことに言及していることは言うまでもありません。キリストの言う愛は,人間創造の親としての愛, つまり世界のすべての人々に分け隔てなく行き渡る愛のことについて述べているのだと思います。光というのも人間創造の親として, 知性と徳性に溢れる光で,世界を隈なく照らすことを意味しているのだとわたしは考えています。

「愛と光の使徒たらんこと!」という「愛と光」とは,究極的にはとてつもなく広い神の愛と光という意味です。しかし, 現実のわれわれの生活においては,先ず隣人愛,つまり,アインシュタインが言う,その笑顔や幸せが, 自分の幸福につながる人たちに対する愛から始めなければならないのだと思うのです。また,知性と徳性に溢れる光にしても,先ず, その笑顔や幸せが,自分の幸福につながる人たちに対して投げかけて行かねばならないものだと考えます。

そして,「愛と光」が,その運命が共感という絆で結ばれているすべての見知らぬ人たちにまで及んだ時に,はじめて神の望む 「愛と光の使徒」の姿が見えてくるのではないでしょうか。

ここで,わたしは愛と光の使徒を目指す皆さんにとって,最も必要な資質は何かということについて触れておきます。

二〇〇五年にノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんがエコロジーの言葉として「モッタイナイ」 という日本語を世界に紹介したことは皆さんもよく知っていることと思います。この言葉は,ただ単に物を大切にすることにとどまらず, 精神的な面でも慎み深く謙虚であることの大切さに触れている言葉だと強く感じます。皆さんが世界に羽ばたいていくときに,ぜひ, この慎みの精神を身につけておいてもらいたいのです。新約聖書の「テモテへの第二の手紙」の第1章7節で,パウロがテモテに向かって 「神がわたしたちに下さったのは,力と愛と慎みの霊である。」と述べているように,神は力や愛において支えてくれてはいるものの, 傲慢な態度になることなく,慎みの精神を持って自分以外の他人のために生きることをわたしたちに教えています。 自分の幸せばかりを求めるのではなく,他人の幸福を第1に考える気持ちを持たなければ,いずれ世界は行き詰まり, 人類に未来はないと言っても過言ではないとわたしは,考えています。

現在人類が直面している大きな問題の一つである環境問題を取り上げてみても,この慎みの精神なくして実現は不可能だと思われます。 環境問題の中で,現在,最も深刻なものは,気候変動による環境変化の問題と言えるでしょう。 日本各地でも異常気象ではないかと思われる例がいくつも報告されています。 今年の元日の朝日新聞の一面に環境元年と題して紹介された記事には,「気候変動による環境変化は社会のバランスを崩し, 直接の原因にならなくとも紛争の下地を作り,悪化させ,平和を脅かす要因になる。」と書かれていました。さらに, アフリカのある地域の紛争の一因が気候変動による環境危機として始まったのではないかと指摘しており,このことを考えても, 環境問題への取り組みがいかに急務であるかということが理解できると思います。しかも,その取り組みは, わたしたち個々人が今すぐにでもできることだというところに大きな意味があるのです。それは「もったいない」 から始まる慎みの気持ちを持つことです。慎みの気持ちこそ, 世界の諸問題を解決する糸口になるのではないかと申し上げて卒業生の皆さんに対する餞(はなむけ)の言葉といたします。

さて,ご父母の皆様へのご挨拶の前に, 本来はこの式に参加をしているはずであった德永浩人君のことについて述べておきたいと思います。中学入学の2か月後に,不慮の交通事故で亡くなり,本人もご家族の方々も本当に無念であったと思います。どのように,また, いくら考えても無念の思いはつきませんが,今となっては,お母様が,「浩人は,愛光50期生の守り神となって頑張ってくれると思います。」 と亡き浩人君の前で語ってくれた言葉を,何時までも胸に秘めて, 浩人君が天からわたしたちを見守ってくれていることを忘れないでほしいと思います。

(一部省略)

愛光学園の卒業生として,誇りと慎みをもって世界に羽ばたいてくれることを期待し,それぞれの道での健闘を祈ります。

2013年1月

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